ビー太郎サバイバル日記

武士同士の対決は実と実との対決であるが、忍びが戦うときは常に自分は実であり敵は虚である。「正忍記」その5
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生きることはサバイバル(2)


「グランドファーザーが教えてくれたこと」
トム・ブラウン・ジュニア著
さいとうみなこ訳
ヒカルランド、2012年12月18日刊


グランドファーザーが教えてくれたことグランドファーザーが教えてくれたこと
(2012/12/18)
トム・ブラウン・ジュニア

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トム・ブラウンとアパッチ族の古老グランドファーザーとのやり取りは、日本の職人の師弟のやり取りと似ていることを以前書いた。

さらに、インディアンのシャーマンたるもの治療師であり戦士であるという記述は、

日本の武士たちの生き方を想像させた。


純粋に「生きる」ことをしてきたのが物質文明を拒絶したアメリカ・インディアンならば、日本のそれは、流入する新しい文化に適度に合わせ自分の文化を築いていったやはり「生きる」ことを念頭に置いた人びとであるといえる。


西洋は、人類がいながらも長らくイルミナティ悪魔主義に押しやられていたものが、新大陸アメリカの地に移住したことで純粋なインディンとの出会いにより本来の人間性をとりもどすかのようだ。

それ以前に目を向けるなら、インディアンもコロンブスの新大陸発見というイベントでイルミナティ悪魔主義が乗り込み、アメリカ独立戦争時に戦争に駆り出され敗北し、伝統も途絶えそうになっているまったくの瀬戸際であった。


トム・ブラウンの父親は英国グラスゴー出身と本に書いてあった。

スコットランド、グラスゴーは、悪魔主義者の多い土地柄である。



インディアンがシャーマンになる過程で悪魔との対決は避けて通れない。

このことは、釈迦の悪魔との対話や誘惑とも、イエス・キリストの荒野での悪魔との対決とも重なる。


トム・ブラウンもいよいよその課題が課せられる時期を迎えた。


「現実とヴィジョンの間に一つの世界が存在する。 そこは、善と悪、そして、スピリットと悪魔(デーモン)の世界だ。 

中略


善があるところには、悪もまた存在するのだ。 スピリットが存在すれば、同時に悪魔もいるはずだ。 片方の存在を受け入れ、信じることができなければ、もう片方を信じることはできない。 スピリットの世界のごく一部に悪魔が存在することを否定すれば、スピリットの存在そのものを否定することになる。 悪魔の存在を否定するために、自分の都合に合うように、もう一つの世界の現実を好きなように選んだとしても、悪魔が本当に消えてしまうわけではない。

何時の場合も同じだが、危険なのは、信じなければきっと消えてしまうに違いないと思い込み、悪魔や悪の存在を否定してしまうことなのだ。

悪魔はそれ自身の力だけで存在することができるので、信じたりしたら悪魔が本当に現われるなどと考えるのはおかしい。

悪魔たちは人間にその存在を証明してもらう必要などないのだ。」


(『グランドファーザーが教えてくれたこと』、第8章ストーカーという悪魔、262~263頁)


スピリットも同じく信じようが信じまいが存在するものなのだ。


この悪魔との対決では、最初コテンパンにやられる。

日頃から言われることだが、恐怖心を克服しない限りそれに打ち勝つことはできないし、悪魔の力を増強させるだけになる。

悪魔の力を増強させたままだとどうなるのか。

例えば、アウトカーストの奴隷根性が身についたままになるのではないのか。

一生、自分の人生に立ち向かうことも切り開くこともできない。

そのようにできないものの霊魂は脆弱となり、やがて消え去るのではないのか。

奴隷というのは自分で自分の人生を何らかの理由で歩めない、歩もうとしない人々である。

だから、家畜やゾンビにさせようとする心理も同じように嫌うのである。


悪魔は何をしにトム・ブラウンに近づいたかと言うと、トム・ブラウンのヴィジョンを盗もうとした。

生きるためのヴィジョンに近づけさせないために気を散らさせ、恐怖心で挫折させようとした。


そして、この悪魔との対決の試練を克服して自分のヴィジョンに生きることを決心する。■


The Quest
The Quest(1991)
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[ 2013年01月16日 20:08 ] カテゴリ:トム・ブラウン・ジュニア | TB(0) | CM(0)

生きることはサバイバル




昨年末、サバイバルを普通に「生き残り」として考えていたのが覆された。

「生き残り」となると弱肉強食、優勝劣敗、力の強いものが勝って弱者を淘汰するようなイメージで思考づけられている。

しかし、これはイルミナティ悪魔主義のものだと気づいてから「サバイバル」というコトバさえ胡散臭く感じるようになった。


それが覆されたことというのは、トム・ブラウン・ジュニアのアパッチ族のシャーマンとの出会いから訓練そして現在に及ぶ活動を本で知ったからであった。

トム・ブラウン・ジュニアを知ることになるのは、元ロサンジェルス警察麻薬捜査官のマイケル・ルパートの経歴を知ってからだった。

マイケル・ルパートは彼のスクールでトレーニングを受けている。

現代の日常において、何気なく使っている言葉は、むかし使われていた言葉を逆転させて固定して認識させられている。


「サバイバル」もそうであった。

イルミナティ悪魔主義の「サバイバル」は、上記にあるように、弱肉強食、優勝劣敗を念頭に置いている。

ダーウィン進化論もこれらと突然変異が基礎となっている。

今日の社会において経済活動はもとより、進学受験、ゲーム、映画の筋書きでもみられる。

滅亡の日、いかに助かるかもこの発想からで、やるかやられるかの世界である。



本来の人間の生き方、伝統的シャーマンの生き方はサバイバルなのである。

しかし、イルミナティ悪魔主義のとは違って、自然を壊さず、生かす方法のサバイバルである。

「生き残り」のイメージが生れたのは、これが死をも辞さない覚悟が必要だからである。

むしろ、その覚悟を持つものがシャーマンになった。

シャーマンたるもの危険を回避し、豊饒な土地へ導き人々の安全な生活のため尽力するので部族の代表として尊敬された。

しかし崇拝される対象ではない。



シャーマンでなくともいったん事を成し遂げようと念じたとき、似たような覚悟が必要である。

実際死ななくても命がけで当たれば、突破口が開けるときがある。

死に対する恐怖心はイルミナティ悪魔主義がもたらすものである。

それで人間を精神的脆弱のままにし、本来成すべき道から逃避させてきたのだ、と考える。

命が大事という考え方も、自分の命は大事であって他者の命まで含まれるのかどうか。

「命あっての物種」は、何も知らない活気盛んな若者を誡めるために有効であっても、イルミナティ悪魔主義の前では弱腰になる。

そう思わせることで、イルミナティ悪魔主義の介入を許すはめになり、今日に至っている。

のではないだろうか。■




参考、関連:akazukinブログ内
トム・ブラウン・ジュニアについての記事



「トラッカー」トム・ブラウン 2012-11-20
http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-11408941809.html

「トラッカー」トム・ブラウン(2) 2012-11-22
http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-11410375061.html

「トラッカー」トム・ブラウン(3) 2012-12-02
http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-11417973070.html

「トラッカー」トム・ブラウン(4) 2012-12-07
http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-11422230882.html

「トラッカー」トム・ブラウン(5) 2012-12-10
http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-11424038151.html


トム・ブラウン・ジュニアの「ヴィジョン」 2012-12-22
http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-11432426904.html

トム・ブラウン・ジュニアの「ヴィジョン」(2) 2012-12-23
http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-11432810085.html
[ 2013年01月15日 17:15 ] カテゴリ:トム・ブラウン・ジュニア | TB(0) | CM(0)
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