ビー太郎サバイバル日記

武士同士の対決は実と実との対決であるが、忍びが戦うときは常に自分は実であり敵は虚である。「正忍記」その5
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ツボと日本人 蓑内宗一著(3)

ツボと日本人
―東洋動作学への道―

蓑内宗一著
いなほ書房
初版(1983、昭和58年)


2002年新装第一版

より抜粋


まえがき

―兵法の行動則は今日のものだ―

つづき (3)


今日までの兵法(武道)は“健康体”からスタートしていますが、今日は冒頭に縷々と述べたように“半健康体”の人人が国土に充満しています。 だからスタートも“半健康体”に役立つ行動則でなければ、


現代の健康法=東洋の人間動作学(オリエンタル・キネシオロギー)=日本伝・兵法


として有終の美をなしませんし、有象無象(うぞうむぞう)の健康法がはやったかと思うと、タバコの煙(けむ)のように消え去るのと似て来よう。 けれども、否応無く滅ぼすものがもう一つ別にあります。 それは人間自身(自分自身)です。 人間相互(自分と相手)です。 人間集団(集団対集団、集団対個人)です。 ともあれ、一人一人(ひとりひとり)が単位であることは何時の時代でも変わらないことです。 世界や社会の運命は個人の目覚めと実行(すること)に係っています。

半健康体の人人よ、非パワー体の人人よ。 私の本が自分自身の目覚めと、実行(すること)の切掛(きっか)けとなることを願っています。


最後に、私の本が前代未聞の企画だったために、取材、編集、表現において、幾度かの絶筆の危機に見舞われたが、数人の善意ある人人の物心両面に互る援助の御蔭で、やっと本になったことを感謝します。

昭和五七年(一九八二)

蓑内宗一(みのうちそういち)




「まえがき」追記

―動作学が絶対必要になった―



「今(昭57年)、私は多勢の日本人の悲しい事実に出会う。 自分自身が、動きのもと(①内臓 ②経絡 ③経筋 ④骨格)を持っていながら、自ら動くことを嫌うのだ。
“稼ぐ”という動きは、人間にとって価値あることと思っていないようにも実感される。 そのくせ、他人の動きを批判したり、見ることに心底から興味を持つ人が多い。

どうか、自分自身が動くもとであることを覚って、動いて欲しいものだ。」



と、この本の初稿を書いた時は、(昭57.1月)、これが現実の生きた忠告だったが、今年の後半から急速にOA(オフィス・オートメーション)化が進み、私がこの本の校正刷を直している時は、既にOAの激流の中に流されている自分自身を見出したのだ。 それはあたかも放射能のように万人の眼に見えす人間を変えて行くから、かつてのヨーロッパの産業革命や、クーデターによる政権交代、戦争による大変革のように万人の眼にも派手に映り、大変動をヒシヒシと身内に感じさせず、異常を感じた時は万事手遅れとなっているから恐ろしい。 誰かがふと洩らしたこうした声は至極当たり前のこと―「フランスでも、OA導入後、各職場で突然大声を出したり、上役になぐりかかるなどの異常な言動が増えて最近問題になっています。 日本でも今後、OA職場では労働時間を極端に短くするとか、休憩時間を大幅に増やすなど、何らかの対策を真剣に考える必要がありますね。もっとも女性は恋人とか、おけいこごとなど関心の幅が比較的広いため、むしろ男性の方が事態は深刻かもしれません。」

次に恐ろしいのは従来のように「これから」「今から」といった下作りの猶予期間もなく、ハッと気付いた時(これは極度に個人差がある)(はその渦中にいます。 「わざわいの時が突然彼等に臨む時、それにかかるのである」(伝道の書)いつの間にか“手づくり職場”の人人と、“コンピューター職場”の人人とが真二つに割れて時と生活が流れています。 中間層の人人はだんだん影が薄れて行っています。

そしてどちらの人間にも共通した根本問題は〈見る⇔動く〉つまり“表現”と“行動”の本末究竟からスタートしなければ職場(稼ぐ。労働価値説の世界)だけでなく、人間(自分自身)が生存(生きていること)から脱落するという恐ろしさです。

《生存⇔どう動く》か。 そこで動作学が余暇とか、趣味とか、片手間とかいった芸でもなく、必要な身につけなければならぬ学科として活用される時となりました。 私のこの『ツボと日本人』が動作学の手本というのでありません。 今(80年代)人間に必要な動作学を生み出すきっかけとなることを心ひそかに願っています。

(昭和57年12月追記。 筆者)




まえがき註
引用者注※まえがき(1)の引用文の参考資料

水野肇『悪魔の健康学』文芸春秋

著者はプロローグでこう言っている。

「……まず、第一に『健康』というのは、今の医学では、あまり研究されていない。 医学の主流は病気の研究であって、健康そのものへの医学の関心は低い。 それに健康というのはとらえどころのない面がある。 病気でなければ健康なのかというと、そうではない。 「健康とは病気でないということだけではない。 なにごとにたいしても前向きの姿勢でとり組めるような、精神および肉体、さらに社会的にも適応している状態をいう」――WHO(世界保健機構)ではこう定義している。 いわゆるウエル・ビーイングWell Being の状態を指している。 この場合の社会的適応状態というのは、いくら前向きでも泥棒のように倫理に反することをしているのでは健康ではないというわけである。

このようにみると、健康というのは、かなり主観的な面も入ってくる。 ところが、いまの医学は、脳の働きが十分に解明されていないこともあって、首から上と首から下との関連がよくわかっていない。 そのため、健康な精神(心)とはどういうもので、それがどのように体に影響を与えているのかは、ごく一部分、心療内科(サイコ・ソマティック)のようなものもあるが、学問としてはまだ緒についたばかりである。

こういった混とんとした情勢のなかで、私たちは、それぞれ勝手に健康というイメージをえがき、健康で生きようとあがいている。 科学としての医学という学問があっても、その範囲に健康は含まれない。 そこで次のような現象がでてくる。

“健康にいいですよ”といって、国民を誘惑すれば、必ずそれにのってくる人がかなり多数いる。 しかし、それが健康にとって、いいのかどうかはわからないことが多い。 現に、いろいろといわれている“健康法”については、専門家の間でも、必ず賛否両論ある。 そして、えてして曲学阿世のようなものがブームになる。」(11~12頁)


悪魔の健康学
引用者注
著書あとがきに『本書は1979年に一年間にわたって「週刊朝日」に連載したものに若干の加筆をしたものである。……正統派の医学からみると、やや斜にかまえているように見えるだろうと思って「悪魔の健康学」というタイトルをつけた』

とあるように、「悪魔の」にはそれ以上の意味を込めていない。
しかし、普通に考えても現代医療事情や考え方のおかしいことをデータを比較しながら指摘されている。

なお水野肇氏は昭和2年生まれ、新聞記者を経たのち医事評論家。




(『ツボと日本人』まえがき、5~7頁)



◆奥付 著者略歴

蓑内宗一(みのうち そういち)

健康法「武医道」の創始者。

京町衆の流れをくむ旧家(井筒屋・大丸)の出身で、出自は甲賀五十三家の名門望月家であり、その七百年にわたる家系には、望月・服部はもちろん、乱世に活躍した有名な豪族などから、系嗣者がきている異色の家だった。

だから『“五輪の書”新研究』の講義は専門家たちからコピーされ、ひそかに愛読されている。

大正11年、長崎生まれ。
東洋医学研究家、武道研究家、作家。
「ツボによる健康法」「東洋医学の効用」「経絡の原典」「武医道健康法」「東洋医学の診断法」等、著書多し。

1991年死去

 

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[ 2013年01月27日 10:00 ] カテゴリ:ツボと日本人  | TB(0) | CM(0)

ツボと日本人 蓑内宗一著(2)

ツボと日本人
―東洋動作学への道―

蓑内宗一著
いなほ書房
初版(1983、昭和58年)


2002年新装第一版

より抜粋


まえがき
―兵法の行動則は今日のものだ―

つづき


私が提唱するような「医療は医療、健康法は健康法」といったたぐいの健康法は、たった今生まれたと言えよう(これは今日の情報量からの結論です。たとえばテレビで中途半端な健康法が放映された場合に、私のように週刊誌か雑誌に年二、三回程度発表している情報量と比べると、とても数千万人の視聴者に流された間違いを正すどころか、全く知らない人が数千万人いる結果になる。ふとコミュニケーション・ゼロの状態の方が、健康法の善し悪しよりも、恐ろしく身震いする時がある)。

加えて半健康体の人にとって、今日の特徴の一つを挙げると、彼らの多くが医師の手を経ず日常生活のまっただ中で死神に迎えられることです。 突如“前触れ無しの死”であり、ほんとは一瞬の惨死である。

死がいま私の前にある。
事務卓の上の電話が
突如、鳴り響くときのように。

次に、海外のスポーツの動きを見ると、個々のスポーツの技術よりも、人間の動作学〔原名『キネシオロギー』Kinesiology.原名で日本でも紹介されている)として探求されるようになったのも、人間の動作それ自体が生命と直に係っていることに目覚めて来たからだろう。 これを機会に、東洋の“気”の理論(ORIENTAL KI-FLOW LAW)を基本にした日本伝・兵法(刀法、柔術)、を“東洋の人間動作学(オリエンタル・キネシオロギー)の典型の一つとして改めて見直して欲しい。 その時皆さん方は、「スポーツは筋力の原理、武道は呼吸力の原理が土台であることを覚えるだろうし、東西文化の違いもここに渕源(えんげん)していることに思い当たるでしょう」。 これを良く理解してもらうために口絵に於いて“気”の原理と筋力の原理、日本伝・兵法の特徴像をたどる挿図をふんだんに掲載しました。[引用者注:口絵省略] それは、

健康法=東洋の人間動作学(オリエンタル・キネシオロギー)だからです。

この動作学は東洋医学の基礎理論である ①蔵象理論、 ②経絡理論、 ③経穴(ツボ)理論を踏まえています。 そしてまたこれらの理論は改めて外国人からも正しくその価値を見直されて来ています(メアリー・コディントン『生体エネルギーの反撃』森沢麻里訳、ユニバース出版社)。


さまざまな名でよばれてきた生体エネルギー ……人間の肉体をエネルギーとしてとらえて治療しようという考え方は、実はそう新しいものではない。 たとえば中国では、そのような思想は国の歴史とおなじくらいの古さを持っている。 ハリの目的の基本は、肉体のエネルギー(気といわれる)の流れを滞らぬようにすることである。 このエネルギーが滞ると病気が起こるとされている。 古代の中国人は、肉体の外にもこのエネルギーは存在していると考えていたが、事実それは宇宙を支配する生命力だった。

四十五世紀も前に書かれたといわれている世界最古の医学書『黄帝内経』の中で、つぎのように述べられている。 「あらゆる細胞に生命を与え、またそれらの中に統合されている、本質的、始源的エネルギー。……エネルギーは、空にあっては抽象的な実体にすぎないが、一方、地上にあっては有形の物質的実体に変形されている。」(この著者は、アインシュタインより何千年も前に、物質とエネルギーの統一を知っていたばかりでなく、西洋の物理学者がほんの最近になって気づいたばかりの空中におけるある種の力の存在さえ知っていたのである。)

この中国の“気”が、本章でこれから説明するさまざまな名前を持ったエネルギー―治ゆ力―と同種のものであることはあきらかだ。 何世紀にもわたり、人間はこのエネルギーを実用化しようとさまざまな試みを重ねてきたが、その過程で、このエネルギーはたくさんの名称を与えられてきた。 ヒポクラテスはすべての生物の中に流れている生体エネルギーを“自然治ゆ力”と呼び、パラケルススはアルケウス、アントン・メスメルは動物磁気、カール・フォン・ライヘンバッハ男爵はオードの力、サミュエル・ハーネマンは生命力、ウィルヘルム・ライヒはオルゴン・エネルギー、D・D・パーマーはイネイトと呼んだ。 日本人は気と呼び、ヒンドゥーはプラーナ、ポリネシア人はマナ、アメリカ・インディアンはオレンダといっている。」(13~14ページ)


“医学”という狭い門戸に限られていますが、捕えるべき基本原理はしっかり取らえている点は、生半可な日本人より増しだと思う―「身体を質量としてでなくエネルギーとして扱う治療方法を真面目に検討するための時期は、まさにじゅうぶん熟しているといえる」(強調ミノウチ)。 動作としては中国の太極拳だけしか取り上げられていないのは国際的に文献の不足に大きな原因があります。 


なぜなら医療系の文献はふんだんに本が出ていますが、兵法系の文献となると、日本国内でもまとまった本が出ていないため、兵法系“経絡文書”の竹内流「秘中口伝殺活穴所巻」、楊心流「楊心流静間之巻」、真之神道流「真之神道流極意秘訣書」、天神真楊流「柔術経穴図」、等々、を初めて公表しました。 


そしてまた、兵法系と医療系のツボの六つの活用法(呼吸点・行動点・擒拿点・運命点)を、初めて体系的に詳述紹介しました。 これらは日本伝・兵法の行動則を生んだ母体となったものです。 上泉信綱(新陰流の開祖)は、この行動則の価値について、次のように書き残しているが、それは不易な預言である。

「今日の働き手のために、兵法の行動則は
役立たねばならぬ。
兵法の行動則は今日のものだ」(取意・現代訳)

(2~5頁)

つづく


引用者参考:

生体エネルギーの反撃

『生体エネルギーの反撃』
(メアリー・コディントン著、森沢麻里訳、ユニバース出版社)


●パラケルスス

偉大なる医師か? それとも魔術師か? パラケルススと治療する化学
http://wired.jp/2012/05/23/paracelsus/


●アントン・メスメル(Franz Anton Mesmer)

メスメルと動物磁気
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/shinpi/mesumeru.htm


●カール・フォン・ライヘンバッハ(Karl von Reichenbach)

神秘のオド・パワー
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/%89%AA%93c%81@%8C%5C%8C%E1/list.html


●サミュエル・ハーネマン(Samuel Hahnemann)

極東ブログ
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2010/07/samuel-hahneman.html


●ヴィルヘルム・ライヒ(Wilhelm Reich)

オルゴン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%B4%E3%83%B3



●D・D・パーマー(Daniel David Palmer )

カ イ ロ 創 世 D.D.PALMER
http://www.kyoto-chiropractic.com/ddpalmer.htm




●竹内流
http://takenouchiryu.web.fc2.com/about.htm

●楊心流(ようしんりゅう)

●真之神道流(しんのしんとうりゅう)

●天神真楊流(てんじんしんようりゅう)
http://www.weblio.jp/content/%E5%A4%A9%E7%A5%9E%E7%9C%9F%E6%A5%8A%E6%B5%81


●上泉信綱(かみいずみ のぶつな)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%B3%89%E4%BF%A1%E7%B6%B1

[ 2013年01月21日 17:00 ] カテゴリ:ツボと日本人  | TB(0) | CM(0)

ツボと日本人 蓑内宗一著

資料
ツボと日本人
 

ツボと日本人
―東洋動作学への道―

蓑内宗一著
いなほ書房
初版(1983、昭和58年)


2002年新装第一版

より抜粋


まえがき

―兵法の行動則は今日のものだ―


私の本が、日本の武道家(推定では百万人以上と言う)はもちろん、最近とみに激増して来た外国の武道家、それに加えて全人口の半数以上とまで推定されている半健康体の人人に読まれる機会を得たことを嬉しく思う。

断って置きたいことは、この本は、“病人”を対象にしていません。 つまり社会のまっただ中で生き、活動している人人、行動をジャマする不快症状に苦しみ悩んでいる半健康体の人人、体力が無い非パワー体の人人が対象です。 世界でも自慢出来る“頭脳”の持ち主である、混在の有識階級の人たちが誰一人も旗幟(きし)鮮明にしなかった“医療”と、“健康法”とを私がはっきり区別した結果であり、今日の混乱の大きな原因が“医療”と“健康法”とをチャンポンにしている大勢の人人のあいまいな態度である、と同時に世界保健機構(WHO)のような権威ある機関でも「健康とは何か?」となると、その定義が実に心もと無い気がします―「健康とは病気でないというだけではない。 なにごとにたいしても前向きの姿勢で取り組めるような、精神および肉体、さらに社会的にも適応している状態をいう」。(註)

素直に自分の体、周囲の人人の体をズバリ直視してください。 “病人”に関わりを持つ人は医師は言うまでもありません。 そして看護している人人ですが、他の大部分の人人は社会の活動の一員として動いているでしょう。 そして残念なことにその動いている人の大部分が、行動をジャマする不快症状に苦しみ悩んでいる半健康体であったり、あるいは非パワー体の人間であるのが今日の現実です。

われわれがお互いに仲良くしたり、喜怒哀楽、生殺與奪(せいさつよだつ)の行為をしあっているのは“病人”と比べてみると、病人以外の大部分の人がしていることでしょう。 病院から宣戦布告も、立法活動も、芸術運動もスタートしていないことは、人間の生活が物語っているでしょう。 そこで止むを得ず“医療”を必要とする人人と、“健康法”を必要とする人人とを截然(せつぜん)と分けることは、今では常識でしょう。

言ってやるが良い。「医療は治るか、治らないかということを目的とし、健康法は行動(活動)が目的である」(念のためにつけ加えると、現行法では“医師”には国家試験がありますが、“健康法の指導者”にはありません。このことは法律的にも職分がはっきりしています)。


注意

この本では、もちろん他の健康書でも私が“半健康体”という言葉をつかったのは私の造語ではありません。 少年時代に耳にした岸本能武太氏の言葉が適切と思いつかったまでのこと。岸本氏は言う

「予(私)は毎日、往来や電車や学校やその他到る処で出会う人人に就いて観察して見るに、残念ながら我が同胞の大多数は、肉體(体)に於てか或は精神に於てか、実際半病人であるらしい。 栄養の不良なる、顔色の憔悴(しょうすい)せる、筋肉の軟弱なる、意志の鎖沈(しょうちん)せる、喪家(そうけ)の狗(犬)の如く、亡国の民の如しと云はれるとも、殆んど辯(弁)解の辭(ことば)があるまいと思はれる位(くらい)である。それも白頭瀕死の老人計(ばか)りがさうであるのならば、まだしものことであるが、新進氣鋭なるべき青年の間に、この種の人々の多きは、東洋の大帝国を以って任ずる日本国民として、実に長体息(ちょうたいそく)の至りである。 試みに思へ、青年の中には、神経衰弱を聯(連)想せしめるものが、少なくないではないか」(大正5年=一九一六)

―今は、客観的な統計数字が一千万以上の半健康体の同胞を計上しているし、年齢も老人とかぎらず青年層もひっくるめた全同胞の問題となっている。 そして観察者(岸本能武太)が連想したことが事実となり日日のニュースとなっている。


(まえがき1~2頁)

つづく


抜粋者注

◆奥付より抜粋 

著者略歴

蓑内宗一(みのうち そういち)

健康法「武医道」の創始者。

京町衆の流れをくむ旧家(井筒屋・大丸)の出身で、出自は甲賀五十三家の名門望月家であり、その七百年にわたる家系には、望月・服部はもちろん、乱世に活躍した有名な豪族などから、系嗣者がきている異色の家だった。

だから『“五輪の書”新研究』の講義は専門家たちからコピーされ、ひそかに愛読されている。

大正11年、長崎生まれ。
東洋医学研究家、武道研究家、作家。
「ツボによる健康法」「東洋医学の効用」「経絡の原典」「武医道健康法」「東洋医学の診断法」等、著書多し。

1991年死去

抜粋ここまで



◆岸本能武太(きしもと のぶた)

慶応元年12月16日(1866年1月22日) - 昭和3年(1928年)11月16日

参考:岡田虎二郎、岸本能武太『岡田式静坐三年』、
http://www.butterflylost.net/dl/nomura200903.pdf


◆「喪家の狗」は、本文に(そうけ)と送り仮名があるが、調べると(そうかのいぬ)が正しいとある。

[ 2013年01月19日 01:10 ] カテゴリ:ツボと日本人  | TB(0) | CM(0)
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