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武士同士の対決は実と実との対決であるが、忍びが戦うときは常に自分は実であり敵は虚である。「正忍記」その5
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天正伊賀の乱における忍び

「正忍記」(新人物往来社)は、平成八年に出版された。

著者は、それ以前に「忍術秘伝の書」(平成六年)を刊行されており、これは「正忍記」の全要約に「万川集海」「忍秘伝」で捕捉されている。

「正忍記」のように逐次原文と解説という風ではなく、著者による構成で解説されている。



忍術秘伝の書
「忍術秘伝の書―忍びの世界を科学と歴史の刃によって切る」
中島篤巳著、角川選書248、平成六年





先の「正忍記」に中島篤巳氏は天正伊賀の乱について触れている。

私はこの天正伊賀の乱に興味を持ち、中島氏の解説にじつは衝撃を受けたのである。

以下引用。




コラム―天正伊賀の乱における忍び


日本史上、一国の武士と庶民とが一丸となって強大な権力に対抗し、一国の半数が死に、全域が焦土と化した国は伊賀国をおいて他にないだろう。

戦国期、伊賀国守護の仁木氏は権力もなく、伊賀国は在郷の服部(はっとり)、柘植(つげ)、川合(かわい)、名張(なばり)、長田などの国人衆に分割統治され、その国人衆はは一族ごとに党をつくり結ばれていた。


彼らは戦国大名の侵略に対しては伊賀国全体が団結し、また甲賀国人一揆と協力して対抗するという掟書(おきてがき)を交していた。

「他国より当国へ入り候においては、惣国(そうこく)一味同心に防がるべく候」(「伊賀国惣国一揆掟書」)とあり、これが伊賀の惣国一揆体制である。


『万川集海(ばんせんしゅうかい)』にも「伊賀国は権力に屈することなく、あの織田信長さえも手こずらせ、最後まで屈しなかった」と誇らしげに記されているのは、さきに述べたところである。




参考:(同書、18~19頁より)

『万川集海』の序の末尾に「延宝四年辰仲夏日 江州甲賀郡隠士藤林保義序」とあるように、伝書は藤林保義(保武ともいう)が西暦一六七六年五月に著したものである。

同書の忍術問答の中で、「此(かく)の如き忍術普(あまね)く天下に用いしと聞く。 然(しか)れども専ら伊賀甲賀は殊に忍びの名、諸州に冠たるぞ何ぞや」という問いに対する答えの最後に、

「隣国の多勢にして威強き大名多しといえども、伊賀の地を奪い取る事なし。 信長公ほどの強将たりといえども、伊賀においては敗北したまう也。 まして其余の大名、各此の国には望みをかけず。 小国にして人数少なきのみならず、大将もなき寄合勢といい、旁々(かたがた)以て頼りなき様なれども、隣国の大将ある大勢に一度も負けたる事なし。 勝利を得しは何故ぞ、是皆忍びの術の功にあらずや。 斯る故を以て伊賀を忍びの本とする也」(内閣文庫蔵本)

といっている。



天正六年(一五七八)二月、一人の伊賀者が雪を踏み締めて山道を越え、伊勢松ヶ嶋城の北畠信雄(信長の子)の門を叩いた。

伊賀の背信者、下山甲斐(しもやまかい)その人である。

「今、伊賀国は足並みが乱れており、郷士たちの結束も弱うございます。 伊賀国を攻めるには今をおいてございませぬ」

この一言で伊賀の悲劇が始まった。

信雄は時節到来とばかりに、まず伊賀国伊賀郡下神戸(しもかんべ)の丸山城再建を手がけたまではよかったが、伊賀勢に奇襲されて簡単に消失した。

翌七年、焼き討ちに激怒した信雄は兵を率いて伊賀の阿波口、伊勢地口、鬼瘤(おにこぶ)峠の三道から一気に伊賀侵攻を敢行。

第一次伊賀の乱の勃発である。


しかし侵攻軍の結果は悲惨だった。

情報収集とゲリラ戦に長(た)けている伊賀勢の待ち伏せは必至である。

鬼瘤峠は先鋒、柘植三郎左衛門率いる千五百が侵攻し、これを迎え撃つのが上忍、百地丹波。

結果は織田軍が惨敗、拓殖も討ち死にした。

阿波口侵攻は信雄自身が率いる八千の兵。

しかし伊賀勢の鉄砲や弓攻撃とそれに続く夜戦とで惨憺たる状況で退却、といった戦況であった。


信雄の失態と伊賀の反抗は信長の激怒するところとなり、木下藤吉郎、滝川一益、甲賀油日(あぶらひ)の和田推政、蒲生(がもう)日野の蒲生賢秀らと伊賀攻めが計画され、その数日後には商人に変装した甲賀者の姿が伊賀の地に見られ始めた。

あとでも述べるが伊賀の乱の特徴の一つに、盟約を交わしていた甲賀の伊賀からの離別があげられる。


天正九年九月、信長は五万の兵を率いて安土城を出発した。

第二次伊賀の乱である。

伊賀の兵力は僅か数千。

歴史の流れに抗するすべもなく、奮戦むなしく大勢は七日で決まったが、それでも約一カ月は持ちこたえ、柏原城の落城をもって伊賀の乱は終わった。

その後も惨殺が続き、伊賀の地は殺戮(さつりく)と焦土の地獄であったという。


信長は六つの伊賀口から雪崩(なだれ)の如く侵攻を開始したのであるが、その内訳は次のようである。


伊勢口からは北畠信雄を総監に一万三千、
笠間口からは筒井順慶の三千二百、
長谷口からは浅野長政らの一万五千。

興味深いのは残りの三口、

すなわち多羅尾(たらお)口は堀秀政、多羅尾光弘らの二千三百、

柘植(つげ)口は丹羽長秀、滝口一益、藤堂将監らの一万二千、

玉滝口は蒲生氏郷、脇坂安治らの七千三百である。


天正伊賀の乱
参考:第二次天正伊賀の乱図
http://www.e-net.or.jp/user/taimatsu/iganoran/map.html



これら三口はすべて甲賀国内で、伊賀と同盟関係にあった甲賀武士は、それを裏切って信長の通過を許したばかりでなく、信長軍に加勢した者もおり、多羅尾光弘は甲賀五十三家の家柄である。

甲賀は自らが生き抜くため、そして時代に即応した新しい生き方を選び、伊賀との古い盟約を破棄して行動した。

忍びの武士化という、新しい時代の到来である。


忍びの哲学の合理性からすれば、甲賀の対応は伊賀への裏切りとは言いがたく、むしろ甲賀こそ忍びらしかった、といえよう。

天正伊賀の乱は、たいていの書物では“戦った伊賀郷士=伊賀忍者”として語られている。

実利を捨て、自国の滅亡を選んだ伊賀の行為は、忍びではなく武士の哲学そのものである。

この伊賀の乱の生きざまから、六十近い士豪の連合体は武士の連合であり、忍びはそれに付随したものと考える方が妥当ではないだろうか。

(『忍術秘伝の書』、26~28頁)



織田信長の天下統一の時代。


唯一、権力に屈しない自治国を造っていた。


日本におけるかつてない虐殺が織田信長によってなされた。

その背後にはイエズス会が関係していたのかどうかしらないが、イエズス会の影響を受けた織田信長は天下統一に乗り出していた時期で「伊賀国」に目をつけたのである。

伊賀忍びと甲賀忍びの関係。

私は、縄文日本原住民が、限定的に言うと飛騨族の影響の強い、中央の権力者からは疎まれたエタ衆の勢力の強い土地柄ではなかったと考える。

縄文日本人、および忍びの生き方は自立していたので、「差別」とかそういう概念は持ち合わせていなかったとも考える。

そのように思えたのは、トム・ブラウン・ジュニアの描いたアメリカ・インディアン、アパッチ族のグランドファーザの生き方によることが大きい。



伊賀忍びの生き方。

甲賀忍びの生き方。

伊賀忍びは魂の存命を選び、甲賀忍びは現世での存続を選んだのか。

全滅を避け次の時代につなぐ本能が働いたのか。


勝者、敗者、手引きした者、身柄を引き受けたもの、簡単に区分けできない複雑な状況と内面の心理がある。

イルミナティの歴史を綴った世界史は、二次元的であり見た目に勝者、善悪をはっきりさせる特徴がある。

現代学校で教えられる歴史は全体の一面でしかなくイルミナティの侵略の流れの経過を見ているようなものである。


日本人は時代全体の流れの中で生き、二次元の世界で生きてはいなかったのであった。


奴隷制度は二次元の世界に貶めるようなものである。
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[ 2013年04月18日 21:11 ] カテゴリ:正忍記 | TB(0) | CM(0)

正忍記 その14/奥書の解説

中島篤巳氏による解説は今回で終了する。


〈武道選書〉
忍術伝書 正忍記


藤一水子正武著
中島篤巳解読・解説
新人物往来社 
平成八年八月二十日初版発行



以下、中島篤巳氏による解読・解説。


奥書の解説


「以上のことを書にするというのは決してすべきことではない。

しかし巷では忍びは奇妙だ、人を騙すとか言っているようだから、忍びを正しく伝えるためにあえて書き表したまでである。

また忍びに出会っては隠れようもないので、秘密をことごとく表したので、しっかり理解して術の取得に励んでもらいたい。

忍びの本質がわからなければ、忍びを防ぐことは出来ないのでよくよく学ばなければならないが、決してこの術で人を欺いてはならない」



奥書のように書するということは流派の正しい継承を可能にするが、格付けを目的とする場合もあることを知っておきたい。

さらに漢文の部分は「この正忍記は當流の忍びの純粋な奥義である。 先師より一子相伝で脈々とこれを受け継ぎ、その秘密を外部に漏らすことはなかったが、今始めて子の懇望によってその全てを教授せしめたところである。

慎んで宜しく熟練し、みだりに他の人に見せてはならない」
とある。


最後に伝書の出所と付与先について書かれている。


「青竜軒

   名取兵左衛門

 時 寛保三歳次葵亥年

   二月吉日

   渡辺六郎左衛門(花押)
          付与之  」


すなわちこの書は寛保三年に名取兵左衛門から渡辺六郎左衛門に与えられたものである。


(『正忍記』、197頁)




『正忍記』
名取三十郎正澄/藤一水正武(ふじのいっすいまさたけ)丈夫著
巻頭言 勝田何救斎養真
延宝九年(一六八一)

解読・解説 中島篤巳







以下、中島篤巳氏による巻末の言葉も抜き出しておく。



おわりに


バブル経済の崩壊は各種多様な形で教訓を残した。 もっとも大きな収穫の一つは「本物」の価値の重要性を再確認させてくれたことである。

政治の貧困はもとより、それに輪をかけるようにして我流で薄っぺらい評論が、さももっともらしく茶の間を席巻する。

そんな御時世、本当に頼れるのは自分だけであるということを認識する日が続く。


また国とはいったい何なのだろうか、そして自分との関係はどこまであるのだろうか、と自問する日も少なくない。

ただ断言出来ることは、世の中には得をする人間と損をする人間とが常に決まっており、得をする人間は常にそれを求めて社会道徳を捩じ曲げながら行動し、一方、損をする人間はそれに気づかないか、または諦めてか、淡々とした日を送る。


忍びは社会の底辺で、死を的に極限状態で生き抜いてきた集団である。 その心理的極限状態で得た彼らの結論は「社会通念という束縛から解放され、自己の内に真理を見出す」ということであった。

そのためには自分がどれだけ深く社会と関わりを持つことが出来、その反面、それだけ社会から自立することが出来るかという逆説的な関わりを意識する必要がある。

すなわち国や会社など各種社会の一員としての自己の力が大きいほど、いわゆる社会からの自立の割合が大きいということである。

社会からの自立と逃避は根本的に異なる。

社会的責任を放棄した逃避は、治安や建設など社会の恩恵をこうむって生きている限り単なる寄生である。

忍びは一般通念を無視することによって社会からの自立をはかったが、そこにはそれを代償する忍びの哲学があった。

その生き様はドロドロした社会としぶとく付き合い、そして異質なところで突き放すようにして常に自立していた。


本書は忍術の古典であり、本物の忍術伝書である。

その復刻により、もし誤訳があるなら訂正も可能となり、校注の及ばぬところも読破していただけるものと確信している。

蛇足ながらルールで保護されてスポーツとした近代武道と実践的な古流武術との隔たりは次第に広がるばかりとはいえ、これは、一般武道家の方々にも是非御一読願いたい書である。

(後略)

平成八年七月吉日

中島篤巳

(『正忍記』、406~407頁)


正忍記


中島氏は書いた。

「社会的責任を放棄した逃避は、治安や建設など社会の恩恵をこうむって生きている限り単なる寄生である。」

私なんかそのまま受けて、「親に寄生しています。すみませ~ん」と謝ってしまうだろう。


だが、ちょっとまてよ、

生物の基盤となる自然環境を破壊し、国家としての自国の発展や運営の方針を誤り、社会責任を放棄した役人や官僚や天皇は国民に寄生しているのであり、

教祖や宗教家がその職務を乱用し宗教家あるまじき行為で責任を放棄すれば、それを信じてお布施してきた信者に寄生しているのであり、

シオニスト・ユダヤ・イルミナティのロスチャイルドは、人類に寄生している。

宿主か寄生かの関係は、いずれ宿主を食いつぶす。

エイリアンみたいなやつだ。


と考えた。

私は親に寄生している、といわれたら見た目はそうかもしれないが、上記に上げた社会的影響を鑑みれば、

家全般の運営は私に任されているし、同時に家族の世話をする責任も生じる。

これは寄生なのか?

こういうのは、伴(とも)の状態である。




当然ながら社会を運営する人の責任の方が重大である。

社会的責任を個人的責任にすり替え、官僚、政治家らの失敗も、運営の不備もいままで個人に転化させられてきた。

いうなれば、政治家を選挙で選んだ国民のせいにされる…とか。
選挙に行かない国民のせいにされる…とか。

どちらに転んでも弱い立場のもののせいにされる。

個々の間に入りこんで仲介のフリをしている寄生者(金融至上主義など)は、自己の責任逃れのために社会システムや法律を作ってきたのだ。


[ 2013年04月15日 17:46 ] カテゴリ:正忍記 | TB(0) | CM(0)

正忍記 その13/離術法の解説

〈武道選書〉
忍術伝書 正忍記


藤一水子正武著
中島篤巳解読・解説
新人物往来社 
平成八年八月二十日初版発行




以下、中島篤巳氏による解読・解説。



離術法の解説


これは正忍記最後の項目であり、奥義である。

「離術」の言葉はいわゆる忍術そのものをも否定しており、いささか驚かされるところである。

「本質から外れた目先の雑事小事にかかわってはならない」と始まる。

武士は主従の絶対的関係で成立しており、中世戦国の忍びもそれに組み込まれるようにして「真理」とは主君の命令であり、それは強大な力に裏付けされた「理」であった。

しかし平和な江戸期に書かれた正忍記や万川集海などは、真理をより高いところに求めた。

それはさきに述べたように「唯一絶対の理」であり主君によって変えられるものではないところにある。

まさに「道理に向う刃なし」である。

正忍記は続いて

「物事がうまくいかないのは、本質的な価値を見失って私利私欲に惑わされるからである。 本心正しく欲に走ってはならない。 極理を悟って、その力に驚くことがないように」

と言い、ここに人間としての理を求めている。

儒教精神で結ばれた武士の固い主従関係とは違って、忍びと主君との絆は細い。

だからこそ世事のたいていが「雑事」であり、その中から本質を見極めないかぎり本気でかかわる価値もない。


さらに

「敵を無闇に恐れるのは敵の真の姿を知らないからである。 

達人は自分の考えや先入観、感情などを捨て、冷静に敵の心に従いながら敵を読み、機をうかがう。

焦ってはならない。

いったん失敗したら取返しがつかなくなるどころか、心まで棘のある枳穀(からたち)の林に踏み込んだようになる」


と続く。

これは万川集海の

「忍術の三病は一に恐怖、二 敵を軽んず、三 思案過ごす。 この三を去りて電光の如く入る事……。 
忍歌に “得たるぞと、思い切りつつ忍びなば、誠はなくと勝は有るべし”」


と本質的に同じである。


正忍記はさらに

「身心を固めて敵を威圧し、従わすのに“飛鳥の位”というのがあり、これは鷹が空を舞う時は他の鳥は下の方で怖がってすくんでしまうことに由来し、その勢いのなせる技である」

と続く。

この事は武術一般、多方面で言われていることである。

たとえば伯耆(ほうき)流の流祖である片山伯耆守久安は豊臣家の武術指南役を務めた剣豪であるが、彼の武術の理念は「戈止之筋(かしのすじ)」といって相手と刀を交えることなく、武術で固めた威圧で相手に刀を抜かせないように心掛ける。

※片山伯耆守久安(かたやまほうきのかみひさやす:1575~1650)



もし刀を交えたら何らかの形で自分も傷つくことになり、負けであるとして神武不殺の思想を重視している。

これは正忍記の「飛鳥の位」とまったく同じ武の哲学である。


機は戦いの生命線である。

「また熟果が枝からすぐに落ちてしまうのと同じように、丁度よいという頃合いはすぐに消えてしまうものである。 かといって取りかかる時期が早過ぎると余分な事までしなければならなくなるし、遅すぎると後手に回ってしまう。 頃合いということをよく心得ておかねばならない」


として、機をとらえることの難しさと重要性を解いている。

さらに、

「敵に対した時、自分に備えがなければ、一太刀(ひとたち)ならぬ一舌を浴びせる。 気力が通じれば心の妙剣が敵を防ぎ、切迫した危険を回避することが出来るものである。 刃がなくても人を殺し、薬がなくても人を蘇らす、すなわちこれを一舌の大事という。

心がよくかなう時は剣刃の上を歩いたり、氷の丘でも走ることが出来るなど、無我になり心を集中すれば一見不可能と思われることでも可能になる」




とその瞬間の真理を捉えた「心の力」の重要性にふれている。

そして極意伝は「これは忍びの上手に敵無く子孫繁栄の書である」

と結んで終る。


(『正忍記』193~194頁)





『正忍記』
名取三十郎正澄/藤一水正武(ふじのいっすいまさたけ)丈夫著
巻頭言 勝田何救斎養真
延宝九年(一六八一)

解読・解説 中島篤巳
[ 2013年04月09日 20:30 ] カテゴリ:正忍記 | TB(0) | CM(0)

正忍記 その12/無計弁舌の解説

〈武道選書〉
忍術伝書 正忍記


藤一水子正武著
中島篤巳解読・解説
新人物往来社 
平成八年八月二十日初版発行



以下、中島篤巳氏による解読・解説。



無計弁舌の解説



「忍びだからといって話し方、教え方の肝要などがあるわけではない。

達人は事に臨んで始めて弁舌が爽やかになるし、謀(はかりごと)も湧くように思いつく。

前もってああしよう、こう対応しようと考えておいても、結局それは何の役にも立たない。

危険な時はなおさらである。

普段から理を極め心を安らかにしていれば、敵の変化に従ってうまく対応出来るものである。

心理状態が安定し聡明なら、事ある時には意識しなくても自然に理にかなった対応ができる。


忍びは本来は武士の役目であり、盗賊泥棒の類ではない。

だから昔から夜盗ではなく夜頭と名付けて、忍び上手を頭すなわち将として、配下に一群をつけた。

しかし大事な場合には忍びの頭に担当させたという。

時に臨んでは決して心命をおしんではならない。

“死中に活あり、活中に死あり。 生死の境に立った時は、自分すなわち命を意識してはならない”とある。


古歌に

空蝉の裳抜(もぬ)けのからと身はなりて
我もあらばこそ物怖じはせめ



とあるように、心を体から遊離して無我になり、恐怖感や感情に包まれていない純粋理性の我が姿を見つめることが出来たら怖いものはなくなる。


自分を感情欲情から離して“無”にすることが出来なければ、些細なことに振り回されて機会や情気を失い失敗の原因となる。

肝心な時には速やかに“無我”の境地に入り、冷静沈着に事を運んで目的を達成し、生きて帰るためには決して臆してはならない。

極論すれば、怒って我を忘れて物事を壊したりした場合でも“無我無心”である。

この辺を熟慮して悟らねばならない。

色々と説明していると仏法がましく、悟り損ねた禅修行者が迷っているようになるのだが、忍びの道においてその極みを察した時は、何を以て有とし、何を以て無しとするのだろうか?

おそらく“忍法は無我で仕掛けるなり”というだろう。

すなわち第三者が尋ねても忍びは宇宙に溶けこんでいるので形が無く、求めても自我を殺しているので心が無い。

ただ無我で得た自分の心に従って行動すればよいのである」




特に最後の段は実に難解であるが、さきの「無門関(むもんかん)」のように禅問答で解釈を進めればよい。

この項の「自心見性」とは「人心見性」であり、やはり禅の「直指人心、見性成仏」からの引用である。

また、「かねて定まりたる弁舌法要なし」の意味は禅の「不立文字(ふりゅうもんじ)」にあたる。

また極秘伝の「是を放てば六合にわたり、これを巻けば方寸の中にかくる」は禅の「教外別伝」にあたると考えられる。

以上の如く、正忍記の奥義は禅の境地と表裏一体の関係にあることがわかる。


ここで解釈を助けるために禅を代表するものに達磨の四聖句をあげておく。


一、不立文字(ふりゅうもんじ)

文字では伝えることが出来ないということで、具体的には「悟りの境地は文字で表現することが不可能な、純粋経験である」という意味である。

詰まるところ禅では悟りの方法は文字や言葉で伝達するのではなく、釈迦と同一の経験すなわち「座禅に励め」という。

この座禅は前項の「心を納め理に当たる」に共通点を見出す方法である。


二、教外別伝(きょうげべつでん)

他の仏教は「経典」が数学の中心となっているのに対して、禅宗は釈迦の教えを「教内の法」と言い、教典や数学では表現出来ない所の釈迦の教えが教外別伝であり、禅の真髄である。

この正忍記も総論的、例示的に記されているのはこの意味合いが含まれてのことであろう。


三、直指人心(じきしにんしん)

迷い込まずに素直に自分の心をみつめなさいということで、ここに言う人とは自分である。

いたずらに外にばかり目を向けてもだめで、あれこれと考えずに直接自分の心を見つめなさい、という教えである。


四、見性成仏(けんじょうじょうぶつ)

達磨四聖句では一番大事な句であり「悟りは自分が備え持っているので、その仏性に目覚めれば、仏になることが出来る」という意味である。





悟りの方法が座禅であり、それによって「無我」になる。

これが正忍記の「心を納め理に当たる」と共通な方法であることは先に述べた。


(『正忍記』、188~190頁)




『正忍記』
名取三十郎正澄/藤一水正武(ふじのいっすいまさたけ)丈夫著
巻頭言 勝田何救斎養真
延宝九年(一六八一)

解読・解説 中島篤巳
[ 2013年04月07日 20:46 ] カテゴリ:正忍記 | TB(0) | CM(0)

正忍記 その11/心の納め理に當たる事の解説

〈武道選書〉
忍術伝書 正忍記


藤一水子正武著
中島篤巳解読・解説
新人物往来社 
平成八年八月二十日初版発行



以下、中島篤巳氏による解読・解説。




心の納め理に當たる事の解説



「道理と利口と知るべき事」では物事の道理すなわち真理を見極めることの重要性が説かれていたが、ここではそれに近づくための心構えについて述べている。


「心を納めるというのは、理性が感情や情念に左右されて判断を狂わせたり、情気を費やして心身共に破れて遅れをとったりと言ったことがないように、常に“気”を強く養っておくということである。

目的を遂げることが出来ないのは、確固たる信念や根性が足らないからである。

目的と対峙した時、その価値の理解と気構えが不十分なために今一歩の所で挫けてしまう。

忍びは気根が弱くては勤まらない。

心静かに落ち着き納まるなら、時として人の気付かないような真理に気づき、出来ないことさえも出来たりするものである。

精気が強ければ堪え難いことも堪え、泰然として動ぜず、物事に焦ることなく勇み足で失敗しないものである。

人の心は奇々怪々で自然の法理そのものの木火土金水、すなわち宇宙がすべて備わっている。

それは必要に応じて瞬時に現われるが、それを求めようとしても普段は求められない。

精神力で火を使わなくても冷たいものを吹き冷ます。

これはまさに森に入ると木は声を響かし、金は水を育て、土はこれを生み出すという条理である。


何と絶妙なことだろうか。

心静まれば水のように無理なく状況に応じて変化し対応することが出来る。

すなわち火は意識しなくても燃やす物に応じてその勢いを変え、木は自然に応じて枝葉や根がはびこる。

風がその木を倒そうとすれば素直に応じれば風になびき勝ち、自然に逆らって争えば風に倒される。

金は硬いが人の成すことに応じて形を変える。

土は水火木金の全部に関係し、その自然の理を生んでいる。

この自然の理に通じていなければ、弁舌に説得力がなく術も徒労に終わり、忍びの技が拙(つたな)いというべきである」




正忍記は天下の状勢を自然(宇宙)になぞらえて真理の流れに従うように説いている。

結局は忍びも大きな自然(人為を含む宇宙)の一員であり、逆らわずうまく時の状況の流れに乗れば無理なく活動できるものであるという。

そのためには自己との戦いがあり、精神力や知力を鍛えて常に力を蓄えておき、信念を持って対処することが必要である。


目的達成率0%で失敗しても失敗であり、また99%達成して残り1%で失敗すれば結果はまったく同じ失敗である。

しかし後者はもう少しで達成することが出来るわけであり、あと一押しの力が普段から蓄えておいた気根である。

ここに「常に心を納め理に当たる」意味がある。


(『正忍記』、183~184頁)





『正忍記』
名取三十郎正澄/藤一水正武(ふじのいっすいまさたけ)丈夫著
巻頭言 勝田何救斎養真
延宝九年(一六八一)

解読・解説 中島篤巳
[ 2013年04月06日 22:02 ] カテゴリ:正忍記 | TB(0) | CM(0)
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