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蓑内宗一研究  ―武道医学と武医道―

蓑内宗一研究
―武道医学と武医道―

平成26(2014)年10月19日記


このブログにわざわざカテゴリー枠の『蓑内宗一』をつくったのは、単に分類のつもりではなく、継続して調べたい気持ちがあったからだ。 ブログ自体はほとんど休止状態だが、経緯とわかったことを簡単にまとめておくことにしよう。



蓑内宗一とは何者なのか?

ある日、昔の友人から久しぶりに電話がかかってきた。

なんでも武術を習い始めたという。
今やっている武術の「生活活法」が、ものすごくすばらしいものだということ聞いて欲しかったようだ。

日本の伝統については、興味があったので常々調べていたが、武術を通したこのような見方は実いうと私にとって盲点だった。

その友人は、しばらくして師に疑念を抱くような事件に遭遇し、距離を置くようになったようだが、その時薦められた参考資料として教えてもらったのが「蓑内宗一」だった。

蓑内宗一著『日本人とツボ』(2002年、いなほ書房)を読んだ時の最初の感想は、日本人が国体としての日本を形成し日本人となる根幹を成してきたものがここに書かれているのではないかという、手がかりを感じた。

重要なものだ、と感じたのに、なぜこの本、および著者が現代それほど評価されていないのか不思議であった。

インターネットを調べても「なにもない」と言った方がいいくらいである。



明治時代の政策の転換から西洋文明が我々の足元をすくうように流入されたことで日本の伝統的習慣の解体、西洋化への改変がそれまで根付いていた日本の基軸となる伝統の損失という危機的状況のなかに、なんと武術も含まれていた。

柔術は嘉納治五郎によって講道館柔道として真っ先にスポーツ化し、大衆の中に一大地位を築くことに成功した。 そのための宣伝として小説やテレビドラマやオリンピックという国際舞台への進出が功をなし、一般庶民の間にも一大ブームとなり「柔道」として定着していった。

このことは、何が失われどうなっていったのか。

ハッキリ言えば、私は知らなかった。

当事者たちもそこのところをどこまで認識していたのかどうか。 どう思って、どう対処したのか詳しく知りたいと思ったが、日本人の性格からして事を荒立てないだろうし、この本でも切り張りのような構成の文章運びに脈絡が整っていない編集のせいもあって、ここにある内容だけでは物足りなかった。

蓑内氏がはじめたという『武医道』が現在どうなっているのかも気がかりだった。

蓑内氏以前はどのような状態で継承されていたのかもよくわからない。



蓑内氏没後、弟子の森庸年(もりようねん)氏が蓑内宗一著作刊行会を仕切って何冊か本も出版したようだが、これも断片的で近況おろか全体を把握するに至らない。

当たりの悪さと、似たような言葉の云いまわしの多さからそれ以上調べる気にもなれなかったのが正直なところである。



『ツボと日本人』(初版1982年頃、復刊2002年)の奥付に著者蓑内宗一の略歴が掲載されている。

私が入手したのは初版の復刊の2002年版だったが、新たに書き足されたものはなにもないようだ。

さらに調べると、2010年版もあって、いくらか縮小版になって新装されている。

もちろん内容も変わっていない。

そこから著者略歴を抜粋してみる。

◆奥付 著者略歴

蓑内宗一(みのうち そういち)

健康法「武医道」の創始者。

京町衆の流れをくむ旧家(井筒屋・大丸)の出身で、出自は甲賀五十三家の名門望月家であり、その七百年にわたる家系には、望月・服部はもちろん、乱世に活躍した有名な豪族などから、系嗣者がきている異色の家だった。

だから『“五輪の書”新研究』の講義は専門家たちからコピーされ、ひそかに愛読されている。

大正11年、長崎生まれ。
東洋医学研究家、武道研究家、作家。
「ツボによる健康法」「東洋医学の効用」「経絡の原典」「武医道健康法」「東洋医学の診断法」等、著書多し。

1991年死去

抜粋ここまで。



さきにあげた弟子の森庸年氏が書いた本のひとつ『蓑内宗一 武道鍛錬法のすべて』(森庸年著、1997年、砂書房)の奥付から経歴を引用する。

蓑内宗一(みのうちそういち 武道医学研究家)

1922年(大正11年)長崎市に生まれる。 幼児より家伝の〈柔術〉で鍛えられる。後に伝統の武道名家を全国くまなく訪れ、埋もれていた秘伝、口伝の掘り起しを行なう。東洋医学の原理を用いて、武道原理を解明し、武道愛好家に多大な影響を与える。その一方で、健康法「武医道」を創設し〈気のわざ〉を指導する。晩年は宮本武蔵の『五輪書』研究に心血を注いだ。著書多数、『経絡の原点』『武道鍛錬術』『東洋医学の効用』など。平成3年没。


森庸年(もり ようねん 行動経絡研究家)

1944年(昭和19年)東京生まれ、演劇、出版編集業に就くが、体調を崩し、蓑内の門下生となり、武道鍛錬術の指導を受ける。回復後、ツボ・経絡を使った健康法や、写真にあらわれる「気の流れ」判断を雑誌に発表。現在は、東京都内・横浜市などで「自利より他利」への精神のもとに、仕事や生活の場で役立つ「武道原理」の普及につとめている。著書に『武道鍛錬術』(蓑内宗一著)の編・復刻、ビデオ『武道鍛錬術』他に健康書や歴史書など多数。


と、なっている。



上記の本が出版された1997年時点の事で、2014年の現代、森庸年氏の活動が継続されているのかどうかインターネット上ではわからない。

『蓑内宗一 武道鍛錬法のすべて』(1997年、砂書房)、「はじめに」(4~5頁)で森庸年氏が蓑内宗一の全仕事と称して五つあげている。

(一)武道論(砕き、擒拿、活法、気の原理)
(二)東洋医学論(経穴・経絡、経筋、点穴整体)
(三)日常動作論(体角度、正しい姿勢)
(四)体相論(体の相による健康診断)
(五)武医道(前の四つを総合した健康法)



そして本書は、著者の森庸年の研究である武道と気の原理を加味して書かれたという。

「気の原理」?

一般に受けそうな便利な言葉である。


これらの本から蓑内宗一の素性や彼の主張することの信憑性をさぐることはできない。
しかし、この本で公言されている僅かなことがらが、その人間の器を示すことになるだろう。

しかも、『ツボと日本人』(初版1982年)と『武道鍛錬術』(1997年)での蓑内氏の略歴に変化がある。
このような一貫性のなさも、蓑内氏の言動の信憑性を欠くことになり、額面通り受け取ることはできない。

「武医道」を健康法と片隅に追いやっているような書き方も気になる。

そのような程度のものなのだろうか?



もう一人、インターネットで知った、蓑内宗一の弟子と称する人物を抜粋紹介する。

府川 憲明(ふかわ のりあき)  (古武道と気)

1947年生まれ。成城大学芸術学科卒業。
大学卒業後、フリーランスのエディター&ライターとしての約30年間出版界で活躍。出版の仕事を続けるかたわらライフワークとして18年間、東洋医学研究家であり武道家であった蓑内宗一(みのうち そういち)〔1922-1991〕に師事し、健康法・武医道を学ぶ。蓑内宗一師のもとで、蓑内家家伝の体術、東洋医学、経絡理論を学ぶ。蓑内宗一が没した後は、東京理科大学教授・高橋華王(たかはし かおう)氏〔2001年没〕に師事。同氏の主宰する国際武道学会から武医道・八段位範士の称号を授与される。

1998年、武医道研究会を設立。研究会では、平塚市の施設で健康セミナーを開催。地域の人々に家庭でできるツボ健康法を指導。2006年2月 ナショナル整体学院卒業。2006年5月 日本セラピスト認定協会 整体セラピスト免許取得。


ソース:http://w01.tp1.jp/~a150397531/natugassyuku/gassuku5.htm

抜粋ここまで。

府川憲明という名は、『ツボと日本人』の中に写真撮影モデルとして登場する。

蓑内宗一、森庸年、府川憲明と共通するものは出版業界出身ということだ。


さらに、ここに出てくる高橋華王氏の名前には覚えがある。

『武道医学入門 武道整体医法』(サイード・パリッシュ・サーバッジュー著、1994年、ベースボールマガジン社)の冒頭「発刊にあたって」を寄稿された高橋華王氏そのひとであった。

現、武道医学専門学院を運営するパリッシュ先生に伺ったところ、この本は初めての自著なので出版するにあたり出版社側が、その分野で知名度の高い方に推薦文を依頼した。 そのひとは出版社側で選出したそうで、こちら側が口出しすることはなかったという。

赤字にならないための策で、業界では良く行われているらしい。
私もこのような例を知っている。 売り上げを優先し、著者と考え方の真反対な著名人が解説を書いて販売された本がかつてあった。


なお、高橋華王,と森庸年の両氏の共著による、『形で治せる動物健康法』(砂書房, 1998)がある。

どうして、「武道医学」と「動物健康法」が結びつくのだろう。

古い武術の型やヨガのポーズの中に動物の動きを参考に取り入れられたものもあるだろう。
誤解ないように言っておくが、「武道医学」とは人間を基軸として発展してきたものだと理解したので、わざわざ人間の型をくずす方法で健康を得ようという対処療法的な考え方に疑問を持った。

「武道医学」にまとわりつくところで、高橋華王、蓑内宗一、森庸年、府川憲明とひとくくりすることができる。





「武道医学」というのは日本武道医学創設者中山清(明治40[1907]年~ )先生が命名されたものである。
明治政府の為政者が、日本の西洋化を推進する一環のなかで、文明開化にとりのこされ顧みられなくなった日本伝統武術であったが、その武術流派に伝承されていた医術が失われつつあることに発奮して日本中をまわり蒐集し研究し体系づくられた。

この方がおられなかったら、武術に伝わる医術として「武道医学」という形になっていなかったであろう。

というわけで、日本の先人が研究し工夫し伝承した医術として柔術の中に温存されてきたものが、現代に「武道医学」として中山清先生によって新たに息を吹き返したといえる。

その「日本武道医学会」の二代目を継承されたのが、さきの本を書かれたサイード・パリッシュ・サーバッジュー先生である。

そのパリッシュ先生が蓑内宗一は中山先生の仕事を剽窃したと言っておられる。

中山先生がまだご存命の頃、「蓑内」の名が出ただけであの誰にでも温厚な先生の表情が一変したと話しておられた。


それはどういうことかというと、両者の書籍を比べて納得できることがあった。

中山清著『武医同術』(1984年、いなほ書房)は、戦前道場師範代を務めながら武医術を研究し、中国へ従軍、終戦後、柔道整復新聞を創刊刊行し昭和25年~昭和59年までの著者の論説、仕事、記録の集大成である。
 
蓑内宗一著『ツボと日本人』(初版1983年頃、復刊2002年、新装版2010年、いなほ書房)は、その中山清先生の資料をもちだし、その史料の掲載許可を取っておらず、出典先も明記されず、中山先生の功績を伏せている。

『武医同術』『ツボと日本人』

内容の重要性から言えば、どちらからどこに向かって流れたのかその高低差がわかるというものだ。



『ツボと日本人』の中表紙の裏に「協賛ならびに資料提供」として「中山清(治療院経営)」を個人のひとりとして併記してある。

この時期、上述したように中山先生はただ個人の治療院経営者の身分ではない。

そうすると蓑内宗一は中山先生の仕事を踏襲したうえに、売名行為で自分の本として出版したとしか思えない。

しかも紛らわしく「武道医学」の向こうを張って「武医道」の創始者と名乗っている。



蓑内宗一が編集長だったか、記者の一人だったか知らないが、蓑内の原点に雑誌「武道タイムス」時代がある。

国立国会図書館であたってみたところ、

「武道タイムス」1号(1965年4月)は、その前は「日本武道タイムス」創刊1巻1号(昭和39(1964)年9月上旬) 、その後「武道春秋」(1966)と名前を変えた。

どれも編集長の名前も記者の名前も明記されていない。

「中山清」の名で書かれた記事は、保管されていた「武道タイムス」[7号](昭和40年12月、50頁)に、『太平洋を渡ったやわら医学』というタイトルで、ニューヨーク世界博覧会(1964‐65)に「武道医学」として参加した様子が書かれている。

中山先生がこのころからすでに学問としての「武道医学」を命名し、世界に向けて発していたのである。

流儀としての「武医術」があったものの、それを蓑内宗一が借用して「武医道」と名乗ったことが何も知らない一般人の混乱を招く一因であった。

蓑内宗一の著書『ツボと日本人』の構成が一般大衆の興味ある実用的読み物で始終して多くの支持を得たとしても、「武道医学」の真髄には至らない物足りなさを感じたのはそのせいであった。

にかかわらず、そのような気配が感じられたというのは、もしかしたら中山清先生の言動と活動の影響が蓑内氏の心中にあったからかもしれない。

その証拠として、蓑内が中山清先生を知ってからというもの、つてをたよりに武道医学会に入会し、資料を持ち出し、「武道タイムス」紙上で「南堂末雄」という別の偽名を使って書いていたのが、次期「武道春秋」時代には、「やわら医学」に執着して筆を採っている様子が先の国会図書館蔵に保管されているわずかな資料からもうかがえる。

中山清先生は日本伝統の上に「武道医学」を現代に新しく息を吹き込まれた創始者といえる方であるのに対し、蓑内宗一はあくまで自分自身の都合で「武道医学」にのっかりフェイクな「武医道」に軸を動かし変質した、というのが私の結論である。


最初の疑問にもどるが、現代における評価は、このような「武医道」の亜流に寄り添って栄えている。
「武道医学」的見解は、何時の時代にもどんな場合でも有効であると断言できるのは、人間の根源にかかわるからである。

そういうものが古来永劫継続し、内心求められてきたものだとしても、道を誤まされることがあまりにも多い。



余談

この事が縁で、武道医学会のパリッシュ先生と面識を持つことができ、しかも資料をいただいた。
この場を借りて、ご厚意に感謝いたします。

その資料、「武道医学ジャーナル」No8に、蓑内宗一について誌上討論がされていた。

「武道医学ジャーナル」はそれこそ「武道医学会」主催の雑誌でNo1~No8とあるようだ。

創刊は平成5(1993)年だが、年に何回発行したのかわからない。

武道医学会のホームページにはNo7までの紹介が出ている。
参考:http://www.budoigaku.org/buijournal.html

その「武道医学ジャーナル」No8の記事(『武道医学、武医術、そして…武医道!』、90~94頁)によれば、

『先に出た、BABジャパン発行の月刊「秘伝」3月号に武道医学の特集があった。BABさんからは、日本武道医学会の現会長・パリッシュ先生あてに、武道医学に関する取材や対談の申し出があったが、取材や部外者との対談を断ったのである。』(上記90頁から引用)

とあった。


「BABジャパン」は初めて聞く出版社だが、武術系のマニアの中では知られているようだ。

なぜ、BABジャパンが武道医学の特集を組もうとしたか考えてみると、BABジャパンが制作したビデオに森庸年氏が関わったものがある。

『気の鍛錬術』
森庸年指導・演武 ; BABジャパン制作・著作, [1998.6]


出版業界の体質としてこれらを売らんがための宣伝に「武道医学」を利用しようとしたのではないだろうか。

この森庸年の紹介に「蓑内宗一」がいつもからんでくる。



(了)




参考;

●国会図書館で閲覧できる中山清先生の書籍

『柔道整復師の柔道と臨床 : 柔道各種形・当身経穴・ヘッド氏帯対照』 中山清 著 1958
『解説骨継療治重宝記』 高志鳳翼 著,中山清 解説 [太陽堂] 1961 (柔道整復全書 ; 第2)
『柔(やわら)医学 : 柔道整復方術の原流』 中山清 著 中山清 1967
『先人の治術遺産顕現』中山清 著 1973
『日本武道医学 : 先人の遺産顕現』 中山清 編著 1975
『武医同術』 中山清 著 いなほ書房 1984
『武医同術 : 武徳 総括編』 中山清 著 日本武道医学会 1988


●国会図書館で閲覧できる蓑内宗一の書籍。

どれもタイトルの通りの実用書っぽい簡単に読める本である。 

ちなみに蓑内のもう一つの大書であり、編集を務めたとされる「経絡の原典」(出版ビジネス永田社 1978)は、江戸前期の漢方医夏井透玄の『經脈圖説』の解説本である。 この本の付録に「整骨古典・殺活秘伝書」は長崎図書館の所蔵品と記載されているが、そのすべては日本武道医学会(当時、中山清先生)の所蔵品である。 

また本書の中の記述も中山先生の図書室から持ち出されて、本にされてしまったことは関係者の間で良く知られていることである。(日本武道医学会 パリッシュ先生談)


『誰でもできるツボによる健康法』蓑内宗一著 文理書院 1973
『武道鍛錬術 : 体力づくりの口伝と秘法』簑内宗一著 砂書房 1973
『指だけで治す中国の家庭医学 : ツボの新研究』簑内宗一著 東京スポーツ新聞社 1973
『東洋医学の効用 : 三千年の歴史をもつ医学を究明』簑内宗一著 アロー出版社 1974
『自己診断健康法 : 東洋医学による』簑内宗一著 文理書院 1975
『自然健康法12集: 誰でも手軽にできるトレーニング』蓑内宗一編 アロー出版社 1975
『体相学入門』簑内宗一著 アロー出版社 1976
『東洋医学の健康法』蓑内宗一著 アロー出版社 1976
『日常動作と健康体操』蓑内宗一著 文理書院 1977
『東洋医学のすべて』簑内宗一 著 アロー出版社 1977
『体調を知る事典』蓑内宗一著 アロー出版社 1977
『よみがえった武道鍛錬法 : 決定版! 』簑内宗一著 アロー出版社 1978
『経絡の原典 :『経脈図説』の解説』夏井透玄 [著],蓑内宗一 編 出版ビジネス永田社 1978

森庸年氏の著作等

『武道鍛練術』 簑内宗一 著,森庸年 編 砂書房 1996
『簔内宗一式武道鍛錬法のすべて』 森庸年 著 砂書房 1997
『形で治せる動物健康法』 高橋華王, 森庸年 著 砂書房 1998
『武道経穴鍛錬法』 簑内宗一教伝 森庸年 著 砂書房 2003
『武道秘孔鍛錬法 : 日本伝兵法「気の原理」』 森庸年 著 砂書房 2006

DVD:『気の鍛錬術』森庸年指導・演武 ; BABジャパン制作・著作 [1998.6]



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[ 2014年10月19日 22:48 ] カテゴリ:蓑内宗一 | TB(0) | CM(0)

内臓が弱かった三島由紀夫


蓑内宗一の書き方が面白いので、他の本はないかと調べても入手するのは困難そうである。

国会図書館へ行けば、何冊か保管はされているが、複写禁止であったりする。

以下の本もそうだったので、急いで写してきた。

ので間違って写してしまってるかもしれないと、最初に断っておく。


「東洋医学の健康法」
蓑内宗一著


から引用する。


内臓が弱かった三島由紀夫


作家三島由紀夫の検死報告の一節に、

「顕著だったのは、その隆々たる筋肉と、弱い内臓とのアンバランスである」という指摘が読まれます。

検死官は現代医学の徒らしく、隆々たる筋肉があたかも“力”の根源らしく想定? 弱い内臓とのアンバランスに驚いた気配がうかがえるようです。


しかし、東洋医学では、筋肉と内臓と比べてさほどバランスを注目しない点です。

基本である内臓が正常の場合、骨格筋が働かなかったとしたら、むしろアンバランスでしょう。


私に疑問がわいたことは、彼の文章に見られる、今日ほとんど死語に近くなっている雅語を、なかばつかうほど、日本語の伝統に頑固だった彼が、体育の面では日本のよき伝統―内勁(ないけい)を主とし、外勁を従とする―がぷっつり切れていることの驚きです。

もちろん彼は居合、剣道から空手まで習っています。

にもかかわらず、惜しいことに体は逆方向に鍛えられています。

私はただ、中国の哲学者、孟子のことばを噛みしめて銘記するだけです。

「我はじめに千人然りといえども、始めに違えば、終わりにすなわち、妙理を知ることなし」と。

(『東洋医学の健康法』、蓑内宗一著、アロー出版社、昭和51年、17~18頁)



三島由紀夫の項目が目についた。

たまたま、先日、三島由紀夫の「豊饒の海」を紹介してくれた女性がおられたので記憶に新しかったからかもしれない。

三島文学なるものを読んだことがない私は、ざっと、あらすじを調べて感想を書いた。

参考:ウルフ爺さん(2013-03-09 投稿)のコメント欄
http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-11486610725.html


もちろん、文学についての感想ではなく三島氏が題材にした「生まれ変わり」に対する私見である。


蓑内宗一氏の目のつけどころも彼ならではで、人間観察からその行動を見抜いている。




[ 2013年05月08日 22:21 ] カテゴリ:蓑内宗一 | TB(0) | CM(0)

気血エネルギー

蓑内宗一氏の本に「気血エネルギー」というコトバが出てくる。

一般に「気」と言われているものを、現代風に表した言い方であるかもしれない。

または、「気」だけでは観念論になりやすいのを理論的に説明されようとしたのかもしれない。



内臓でつくられた血は血管(動脈・静脈)を循環し、一方、気は経絡(けいらく)と呼ばれている循環ルートを流れる。

西洋医学の立場からみると、人体の循環ルートは血液系、リンパ系あり、第三の循環ルートとして経絡系も注目されてきています。

今日では、この経絡系は各内臓に所属すると考えられ、「臓腑経絡系」と呼ばれています。

武道でも、明治以降の流派は別として、それ以前の武道流派の多くは、この「臓腑経絡系」を基礎理論にしているので、正しくは「経絡派武道」のカテゴリーに入れるべきです。

例えば柔術は臓腑経絡系を基礎理論としていますが、講道館柔道は近代の体育理論を基礎としています。

最近では四国の少林寺拳法が「経絡医法」(少林寺拳法での呼称)を基礎理論にしています。

経絡派か非経絡派か、どちらの武道を主題にするかで、思想も鍛練法も違ってくるので、現在では一概に日本武道を論じられません。

私は東洋医学に拠っているので、「経絡派武道」を中心に記述しています。

(『ツボと日本人』蓑内宗一著、27頁)



そして、

第一循環機能(脈管系)

第二循環機能(リンパ系)

第三循環機能、をこの臓腑経絡系(気血エネルギー)


と蓑内氏は名づけた。



バランスは「臓腑経絡系」―つまり第三循環継投で判断するので、「気血のデテルミニスム」ともよばれます。

(一)「経絡」を流れる気血のバランスが崩れた場合が、すなわち病気です。(現代医学でいう病気とやや異なった場合があることは注意してください)

(二)崩れた気血のバランスを調整するのが、ハリ、灸、按摩、指圧などの治療法です。 またほかに煎じ薬を用いる治療法があります。

(三)気血のバランスを強化する自己自身の鍛錬法が呼吸法(禅が代表的)、脈合(みゃくあい)法です。

(四)相手の気血のバランスを崩し制裁するのが武道のわざ(兵法、護身術)です。

(五)制裁をうけ、気血のバランスが崩れたのを回復するのが蘇生法(これは緊急事故者にも適応できる)、整骨、ハリ、灸、按摩、指圧などの活用です。


バランスが崩れた「マイナス体」では、「内勁(ないけい)」が弱っていますから、「外勁(がいけい)」(手足、体の動作のこと)もだめということになります。


(1)内勁―「臓腑経絡系」のエネルギー状態は外勁にあらわれ、
(2)外勁―手足、体の動作がおかしいときは、内勁の状態が注目されなければなりません。

こうした内・外勁の二方面から見なければなりません。

たとえば、「恐怖心」が強い人の場合は、現代医学では、これを疾患としません。

(中略)

ショックに対する驚きが、「臓腑」を損(そこ)ない、循環系に影響し、外勁、つまり手・足・体が満足に活動しにくくなるからです。


(『武道鍛錬法』、蓑内宗一著、森庸年編、28~30頁)







本来武道というものは東洋医学の気の原理を基に確立していったもであった。



西洋の筋力の原理が入ってきてスポーツという体育系にされてしまったのが現代の武道の姿なので実戦からも実用からも遠いものになっているようだ。

精神を養うのであれば、気の原理を取り入れなければならない。


筋力の原理はなにかというと、計算で測るものだ。

計算通りの食事制限、計算通りの体力づくり、決められた年齢制限と重量別で、決められたルールに従い、タイムや数字を競う。


人間の行動則とは関係ない世界である。

スポーツはゲームであり、選手たちは緊張の虚構世界でプレイする。

そして観戦する方も緊張している。

もちろん、この状態を好む人もおられる。

私は、スポーツをあまり好んでみなかったのは、この余計な緊張を自然と避けていたのかもしれない。

そして、ある程度経験すれば単調な繰り返しに飽きてしまったのかもしれない。

弓道を型を覚えたら飽きたのと同じように。

スポ根精神でいえば、根性がないだとか鍛錬が足りないだとか言われそうだが、

私の場合、これに打ち込む理由が見つからなかったといえる。



経絡の流れを考えずにスポーツをしても健康になるわけではないのはこいうことで、

タイムを競うスポーツの「持久力」で、仕事の能率の「持久力」を養うことではなかった。


蓑内氏はスポーツにも「気の原理」をとり入れるべきだといっておられる。

そういわれ始めて久しいが、蓑内氏もまた本の出版に難儀されておられたように、何か抵抗があるようだ。


私は蓑内氏の本を読むまで経絡の東洋医学と武道を分けて考えていた。

またしても、自分の中の鈍感さに気づかされた。



[ 2013年03月08日 09:34 ] カテゴリ:蓑内宗一 | TB(0) | CM(0)

虚構時間(フィクションタイム)-2

武士にとって一生が虚構時間なら、それを生きのびるための行動則をあみだした。

武士の時代とは違った虚構時間のなかに生きている現代人は、行動則を見失い、虚構の中に飲み込まれるだけだろう。

現に生体に合わない虚構システムで疲弊させられている。

それが、病気や怪我となって現われ、事故となって現われる。

精神病を病み、見通しがきかない。

不安と恐怖を常に感じるような世界なんて、そんな人生なんておかしくないか。


以前大事故がおきても、海外の例にくらべ日本人の死傷者の数が歴然と違っているのはどうしてかと考えたことがあった。

いうなればこの行動則が一瞬の危機を救い、不幸を最小に転じてきたようだ。

しかし、最近、死に至るニュースをよく目にするようになった。

個人の不注意はさておき、虚構システムの上に構築された金融寡頭権力経済システムは、近代の工業的発展をけん引してきたかもしれないが、労働問題、公害問題、環境破壊を招き、さらに人類を脅かし続けている。

虚構ゆえにいずれ破たんするがどれくらいの人が巻き込まれるのか。

既に巻き込まれた人もいるのに、正すこともなく直されることもなく温存された。

大手企業の事故のニュースを聞くたび、この虚構で利権にあやかっている人種は一生懸命、会社のメンツや存命を図ろうとするが、自然や人間を犠牲にするという虚構は虚構に変わりない。





虚構システムと反対の例に、式年遷宮をあげておく。

平成25年の今年は、伊勢の式年遷宮の年にあたる。

昔の日本人はこのような自然と一体意識を感じさせる芸術的しきたりを生み出したのだ。



現代に沿った新しい行動則を生み出すために、悪魔的発想を省いた人間の意識が必要なのだ。

[ 2013年03月05日 15:00 ] カテゴリ:蓑内宗一 | TB(0) | CM(0)

虚構時間(フィクションタイム)

私は武術といえば、弓道しかやったことがない。

しかし、武術のイメージは剣道とか柔道とかどちらかといえば闘争のような部類に考えてしまう。

弓道が一番そのイメージから遠かったから、やったのかもしれない。

それも、一通りの型を覚えたらつまらなくなってやめてしまった。


しかし、蓑内宗一氏の「ツボと日本人」とかの書籍を読んでいると、武道の目指す方向が現代の武道の考え方とまったく違うことがわかって興味を増した。

武術の達人になるには、この経絡とツボを熟知していないと効果が無い…とおっしゃている。

そして現代人は、この経絡とツボを考えない動きをしているから不健康な人が多い…とも。

武士が編み出した行動則を日常に活かすべきだという。

もっともなことである。

武道鍛練術
武道錬金術

蓑内宗一著
森庸年編

砂書房
1996年




「虚構時間(フィクションタイム)」の行動が必要となった社会

季節感の喪失をよくいわれます。

たとえば「模糊(もこ)と暮れてゆく春の夕」、とか「青嵐(せいらん)」、「清風」、「白南風(しらはえ)」、「野の錦」、「鐘凍(い)てる」などの優雅な歳時記の言葉も、都会人はもはやピンとこなくなりました。

それよりは、光化学スモッグだとか、ヘドロの海とか、あるいは××川上流では、カドニウム含有量がいくppmになったとか、垂れ流しの工場排水で名物のシジミも全滅に瀕してるとか、廃油で海苔もテングサも採れなくなったとか、のほうが一般的に理解しやすいのかもしれません。


大自然という恩恵のなかで、のびのび生き続けてきた時代の人間には、およそ夢にも思い浮かばなかった、人工的な公害や、環境破壊による脅威の中に喘いでいるのが、二十世紀末の人間のすがたです。

以上のような自然空間の激変に、相呼応して、「体内時計」(体内の時刻)や、社会の「仕事時間」(執務時間、勤務時間)にも、二十四時間・日周期という「自然時間」とは次元の異なった虚構(フィクションタイム)時間が悪魔のごとくに押し寄せてきました。

昼夜二部制ともいうべき生活―まったく昼夜逆転した生活をする人の増加です。 これを続けていると必ず健康を害することうけ合いです。

(中略)

また、ギャンブル人口の増加もあげられます。

日常生活や労働における「持久力(ねばり)」と「休息」の繰り返しとは違って、ギャンブルは緊張の連続です。

そして勝負は一瞬の間に決するのです。

取引株や為替ディーラーなど、一瞬のうちに何億もの金を稼いだり、失ったりします。

これなどは、明らかに虚構時間の行動といえるものです。

(中略)

毎日が虚構時間のまっただなかにいながら現代人は、新しい「行動則」を生み出していないのが現状です。

そのためストレスを受けて、自己を起こしたり、病者となっています。


昔の武士の声を聞いてみましょう。

かれらは一生を一瞬に賭ける虚構時間ととらえ、ここに生きる、みごとな「行動則」を生みだしました。

(中略)

では、われわれ現代人はどうすれば良いのでしょう。 一瞬に賭け機会が日に何度となく、おとづれる生活を強いられているとすれば、むかしの武士以上に心身を鍛錬することが必要なのではないでしょうか。 一瞬に勝つために……。

新しい「行動則」もその鍛錬の果てに見えてくるハズです。

(『武道鍛錬術』198~201頁)




本書は昭和46年(一九七一)年、鶴書房より出版された…蓑内宗一著作出版会の森庸年が、時代にそぐわなくなった部分や、現代の読者には難解になった箇所を補筆し、修正し、装いを新たにして上梓しました(同書、212頁)…と附記にある。

森庸年(もりようねん)氏は1944年生まれ。 蓑内宗一氏に師事し健康を劇的に回復された…とある。



そう今まで、武士の格好ばかり目についてで「行動則」までは考えたことが無かった。


みんなが規律やマニュアルにそって決まった動きをしていたら、あんなに数多くの流派など生まれなかっただろう。

闘いに臨んで勝つためには、相手の知らない技を修得していなければならない。

その技をあみだすために経絡とツボの原理を知っていなければならなかったのだ。



あの時代で「虚構時間」というとらえ方が面白い。

現代の都会生活は、さらに人工的な虚構の中に生きているようなものだ。

ときどき無気力感におそわれるのは、そのせいかもしれない。


「虚構時間」を前提にした新しい生活の仕方を修得しなければならないということか。


[ 2013年03月04日 16:00 ] カテゴリ:蓑内宗一 | TB(0) | CM(0)
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