ビー太郎サバイバル日記

武士同士の対決は実と実との対決であるが、忍びが戦うときは常に自分は実であり敵は虚である。「正忍記」その5
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すべては生きるために/「進撃の巨人」

テレビも見なくなったし、インターネット上でしかみていないのだが、「進撃の巨人」というアニメが最近大流行りだと言っている。

近辺に騒ぐ人もおらず、実感はないが、私は注目している。

作者はこの世界では若手の26才。

この作品が処女作だという。

まぁ、自分は詳しくは知らないし、宣伝をそのまま受け流しにはしたくないので、作品を見たことの実直な感想を述べたい。


私のこのブログのタイトルに「サバイバル」をつけたのは、昨年暮れからこの「サバイバル」つまり、「生きる」ということに強くひかれはじめたからだ。

このアニメは、人類が敵である巨人に食い尽くされるかもしれないという絶望した状況からはじまっている。

食われて、その巨人の糧になるのではなくただ食い殺されて吐き出されてしまう。

死ぬことが無意味なのである。



人類はこの巨人の弱点を研究し立ち向かい始めた。

絶望の中での一筋の希望を見出した…

と書くと、いかにもお話しっぽいのだが、


そういう話である。


私がふと思ったのは、主人公を初め巨人に立ち向かう姿は、戦時中の日本の特攻隊のイメージであった。

このアニメの状況は戦時中のそれに似ている。

戦ってしか生きのこる道はないそのような状況である。

それを、戦争体験のない若者が作品のテーマとし、これを見て共感する人たちがこれほどいるという現状は、現代に流れている雰囲気を単刀直入に写しだしたからではないかと思った。



西洋人はこれを、希望とは…生きるとは…愛とは…というように哲学という基盤にのせて論じるが、日本人はすべて「生きる」ことに集約されているのだ。

利己的な希望、利己的な愛、自分だけが生き残るのではない。

私という個人がすべてを活かす根源となるように置く思想は、日本人がこの世に生を受けた時からさだめのように受け継いでいる思想であった。


あの大戦で特攻隊が生れたのも、遠くアメリカに移民した日系人が442部隊でとった行動も、時を経て現代、マンガに著われでた主人公たち若者の行動も、自分の命を投げ出してこの窮地を脱し次につなげる姿勢にほかならない。



アニメは架空の存在の人類とは思えない巨人が敵であるので、思いっきりぶつかることができるが、現実では、人間の敵は人間になる。


現実には、人間の敵を人間に対峙させる策略がある。

敵を間違えてはいけない。



西洋の学問は人間から離れて観察されたところに構築された。

西洋思想で人間を知ることはできない。

日本人は「生きとし生けるもの」と云う思想があった。

そして、思ったことが、即、行動となった。




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[ 2013年07月25日 11:18 ] カテゴリ:未分類 | TB(0) | CM(2)
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[ 2013/07/26 09:50 ] [ 編集 ]
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[ 2013/07/26 23:24 ] [ 編集 ]
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