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「知られざる福沢諭吉 下級武士から成り上がった男」の品格(1)

福沢諭吉

「知られざる福沢諭吉 下級武士から成り上がった男」
礫川全次著
(平凡社新書)2006年11月、初版第一刷




「知られざる…」と題しているところから、これまで言われてきたこととは違うことが書いてあるだろうと思い読んでみた。


著者の礫川(こいしかわ)氏が、福沢擁護論者によらない、むしろあまり世に出なかった批判本を通して福沢諭吉像を端的に表している良書である。


だからといって、福沢を痛烈に批判しているわけではないのでそれを期待すると物足りなく思うかもしれないが、福沢諭吉という人物像と行動から幕末明治時代の変動期を分析しているのが共感できる。

以下抜粋。




生前の福沢が、始終「拝金主義者」と呼ばれ非難されていたことは、今日あまり知られていないかもしれないが、これはあくまでも事実である。

勝海舟の進退について論じた「瘦我慢の説」(一八九一年稿)は、一九〇一年(明治三四)一月一日の『時事新報』紙上に発表されたが(福沢:死の一か月前である)、これを読んだ徳富蘇峰は「拝金家の大和尚と歌われたる福沢氏の……世間に認められざる侠骨稜々(キョウコツ リョウリョウ)たる反面」が現出したという(『福沢諭吉選集』第七巻「解説」、家永三郎執筆、による)。

中略

ことによると福沢は、あえて「拝金主義者」という呼称を引き受けながら、日本人の意識の「近代化」という啓蒙活動を展開してきたのかもしれない。 しかし、そうした「仮説」の当否については、このあとの考証に譲らねばならない。

中略

幕末から明治にかけて、福沢諭吉は傑出した啓蒙家であり、啓蒙思想家であった。 幕末から明治にかけての混乱期に、もし福沢諭吉が、攘夷の風潮を厳しく批判し、欧米の科学や近代的精神をわかりやすく紹介しなかったとしたら、日本の近代化は、ずっと困難なものになったはずである。

中略

『学問のすヽめ』の冒頭の「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」というインパクトに富む言葉は、たちまち全国に広まり、人々の意識を確実に変えていった。 そのほかにも彼は、多くの啓蒙書・実用書を出版する一方、慶応義塾を経営して近代にふさわしい産業人を多数育成した。

中略

もっとも福沢諭吉は、幕末から晩年にあたる明治三〇年代まで長期にわたって活動を続けた言論人であり、その思想や行動を「啓蒙思想家」というワクで括ることはできない。

彼は終始一貫して合理主義者、リベラリスト、あるいは民主主義者であったわけではない。

周知のように彼は明治一〇年あたりをさかいにして、藩閥政府に「迎合」的態度を示すようになり、「民権運動」に対しては距離を置くようになった。

また、一八八五年(明治一八)の「脱亜論」に代表される彼のアジア認識と脱亜入欧イデオロギーは、政府や国民に大きな影響を与え、その後の日本の対外政策をリードした。

福沢に帝国主義者としての一面があったことは事実であるが、多くの日本人はこの問題について、正確にして十分な認識を持っているとは言えない。


中略

この「福沢ルネサンス」のキッカケはいくつかあるようだが、その時代的背景について言えば、要するに、中国分割という福沢の主張が、一九三一年(昭和六)の満州事変によって実現し、福沢の先見の明が認められたということらしい(平山洋『福沢諭吉の真実』文春新書、二〇〇四、の解説に従う)。

それにしても、一九三五年前後には「福沢ルネサンス」が叫ばれ、一九三四年には郷里で福沢を「国賊」扱いする動きがあったというわけである。

毀誉褒貶の激しい福沢にふさわしい評価の「揺れ」というべきか。

さらに戦後においては、一転して、合理主義者・リベラリストとしての福沢が「再評価」されることになる。

敗戦間もない一九四七年、政治学者の丸山眞男は、「福沢に於ける『実学』の展開」および「福沢諭吉の哲学」を発表し、福沢再評価の動きを牽引した。

こうした傾向は戦後ずっと継続し、基本的には現代の「一万円札」にまで及んでいる。

ただし、歴史家の服部之総
(はっとり しそう)は、戦後初期からの「アジア認識」を問題にし、丸山眞男の福沢観に異議を唱えていた。


中略


戦後から今日にいたるまで、福沢諭吉の「評価」に関わる論争は、彼のイデオロギーをめぐるものが中心となってきた。

しかし、ここで注意しておかなければならないのは、同時代の人々の福沢への批判あるいは否定的評価は、必ずしもその「イデオロギー」を理由にしたものではなかったという事実である。

…同時代人の福沢に対する批判あるいは否定的評価は、彼の「品格」をめぐって、つまりその人格的側面に対してなされる場合が多かったのである。

曰く「法螺ふき」、曰く「変節漢」、曰く「拝金主義」。



(『知られざる福沢諭吉』、12~19頁)



という具合に、幕末明治時代という変節期に遭遇し乗り越えた日本人の様子が、下級武士出身の福沢の出目を強調しなければならなかったその時代の側面がみえてくるようだ。


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[ 2013年07月30日 02:37 ] カテゴリ:未分類 | TB(0) | CM(0)
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