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武士同士の対決は実と実との対決であるが、忍びが戦うときは常に自分は実であり敵は虚である。「正忍記」その5
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天使―堕天使、人間

これは、前回の「家畜人ヤプー」から「進撃の巨人」への続きです。

この本文はだいぶ前に書いていたのだが、この夏からインターネットをあまりしなくなった。

しなくなったら、インターネットに束縛されない解放感に慣れてしまい、なくても平気になった。

スマホを持ったノマドにはまだなりたくない。



本文ここから、

「巨人をしのぐためには人間性を捨てなければ…勝てない」


くどいように何度も出てきたこのフレーズは、私たち人間の課題でもあるかのようだ。

古来より存在するものとして、教科書にも掲載されている中国の古典を元に書かれた小説「山月記」もまた似たような場面が登場する。

これは、自尊心が強いゆえに虎になった学者の話しで、戒めの話しである。

自尊心が強すぎると人間性がなくなるということか。

学生の頃はそんなのでも納得していたが、今はもっと突っ込んでみた。

人間性とはどのようなことをいうのか。




アニメ「進撃の巨人」の最終回でも、はっきりと定義づけていなかった。

定義づけていないが、目星をつけている感じである。

そうでないと、物語の世界観が崩れてしまう。


きっと、人によって違った意見を持つことだろう。

物語の進行で立場の違う人間に意見を言わせて、押しつけず考えさせているのもよい効果だ。


エヴァンゲリオンと似ているシーンもあるそうだが、私はこちらのほうを見ていない。

このような壮大なテーマを扱う場合、基本的な構想は単純なものだろう。

伎(わざ)が何万通りあっても原理は数えるくらいしかないのと同じだ。


一人の人間が何万通りもの違った動作を行なったとしても、出所はその一人の人間である。

その一人の人間の人間性を捨てた場合、何が残るのか?


人間性を捨てるのか、人間性を超えるのか?


人間性をとっぱらって、かわりに動作をおこなうのは、悪魔か天使か。

悪魔は、天使が堕ちたものだから堕天使ともいう。


このアニメの主人公が巨人態になって巨人と闘ったり破壊活動をするとき、あまり理性が働いているようには見えない。

むしろ、この世の破壊者になるのではないかという結末を想像してしまう。



アメリカ・インディアンの上級のシャーマンが危機を脱する時使う力が、やはり人間性を越えたものであるそうだ。

しかし、自分で制御できなければならないという。


「山月記」の虎人間は、最後に自分で制御できず、本当の虎になってしまう。




天使、悪魔、人間と分けるのか?

人間がすべてを包括しているのか?



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[ 2013年10月19日 02:24 ] カテゴリ:ビー太郎日記 | TB(0) | CM(0)
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