ビー太郎サバイバル日記

武士同士の対決は実と実との対決であるが、忍びが戦うときは常に自分は実であり敵は虚である。「正忍記」その5
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忍者少年の仙人入門(5)仙術修行

私は仙術修行がどういうものなのか想像もしなかった。

この本には著者が仙人から受けた修行をいくつか書き留めている。

それは仙人から課題を与えられ、それを自分がどのように克服し修めるのかで、著者の内面の変化の様子が詳しく述べられている。

まさに、「教えない」教え方[参考:忍者少年の仙人入門(2)]、だった。


その第一が、仙人に案内された洞窟での出口のない閉鎖空間で十日間待つことであった。
しかし、空気は一週間分しかない、と言い残して仙人はいなくなった。


「仙人入門」
程聖龍著


から引用する。


彼の言葉を信用するとしても、時間をどうやって計ればいいというのだろう。 十日経ったら戻って来てくれるとしても、この真っ暗闇の中で、その一日が過ぎたことをどうして確認すればいいのか。

いや、そもそも時間とはいったい何なのだろうか。 何の手がかりもない暗闇のなかで、ある時間が長いのか短いのかを、何を手がかりに決めればいいのか。

パニック寸前の暗闇の中で初めて実感したことがあった。 時間というものはおそらく一定ではないのだ。 子供が過ごす時間と大人が過ごす時間が傍目にはいくら同じでも、それぞれの人間にとってはあきらかに違うように、もともと時間とは個々人それぞれによって、また気持ちの持ちようによって短くも長くもなるものだ。 それはおそらく観念の差であり、意識の仕方で長さは変わってくる。 十日が一瞬にも、十年にも、自分の意識のあり方で変わってくるだろう。

そして私は立禅を始めた。 なんとか世界に触れるあの感覚を保とうとした。

(中略)

―その事実しかすがるものはなかった。 立禅という支えがなければ、暗闇のなかで人格が崩壊していたかもしれない。

(中略)

私はゆっくりと呼吸をするように努めた。 忍術の修行でも呼吸をコントロールする訓練はやっていたので、呼吸数を抑えるのはさほど難しくはない。 ゆっくり吸って、ゆっくり吐く。 一週間分しか持たないと言われた空気をなんとか十日に延ばさなければならない。 そして呼吸を数えることで時を過ごしていった。 けれど、そうやって暗闇のなかで立禅を続けていると、思いはどうしても山頂で死んでいった人々のもとに立ち返る。

自分は結局、彼らと同じ修行をしているのではないだろうか?
生きるために来たはずなのに、死ぬための修行をしてしまうのではないか?

(中略)


立禅をしている私の手を引っ張り下ろそうとする。 後ろから突き飛ばされる。 殴られる―実際に身体の向きが変わるほどの勢いで、引っ張られたり、思わずよろけるほどの力で突き飛ばされるのだ。 幻覚であることは百も承知しているが、恐ろしいことには変わりはなかった。

最後には全員が身体にとりつき、よってたかってどこかに引っ張りこもうとしはじめた。 私は指一本、ピクリとも動かさないように、必死で立禅を続けた。 どこかが動いたら、そこから連れて行かれる、と直感していた。

このとき、本当の立禅のやり方がわかったのである。

どこも動かなければ、どこも引っ張られることはなかった。 おそらく身体のどこかが動くことが、逆にそこを引っ張られる幻覚になっていたのだろう。

それが幻覚であることは確かだとしても、このとき動いたら、私は死んでいただろう。

動かないはずの立禅で、この対応に気づかぬまま無意識に身体を動かしていれば、わたしは死の世界へと引き寄せられ、自我が崩壊していたはずだ。

身体が動くということは、心が動くことであり、死の世界へと傾斜することだった。 心の揺れと身体の揺れが完全に同調(シンクロ)していたのである。 パニック寸前の極限状態のなかで、私は次第にそのことに気づき始めていた。


こうして闇のなかで立禅するまでは、山に登る修行者の気持ちがずっとわからなかった。 コインの両面なのだと思いはしても、なぜ生の側ではないのかが、どうしても納得できなかった。

けれど暗闇のなかでずっと手を上げ続けているうちに「人が死ぬ覚悟で来るということは、どれほどの思いがあるものか」はわかってきた。 

その感覚がすんなりと身に染みるようになってきたのである。 それが自分とさほど遠いところにあるのではないことも、少しずつ理解できるようになっていた。

この感覚が共有できるようになってくると、精神が安定しはじめた。 すると、最初は私を攻撃し、殺そうと狙ってた人達が、皆、穏やかな顔つきになってきた。

しかし精神が平安を得るのと裏腹に、身体は次第に衰弱して動かなくなりはじめた。

(中略)

時間の経過などわからない。 その時間の長短はほとんど意味がないように思えた。 一瞬も永遠も、同じもののように感じた。


すると真っ暗な洞窟のなかに突然、光が戻ってきた。

ずっと暗闇のなかにいたというのに、なぜか私の目は光で眩(くら)むことはなかった。

その光を見た瞬間、涙が溢れ頬を伝い、ずっと動かなかった手がピクリと動いた。 あらゆる機能が低下し、息を吸うことさえままならなかった身体が、その瞬間動きはじめた。

目の前に彼の姿があった。 帰ってきたのだ。

彼は何事もなかったかのように、涙を流す私を見ていた。


「何度死ぬと思った?」

彼に聞かれ、私は正直に答えた。

「ずっとそう思っていた」

「うん。それでいい」

他にはなにもない。 それだけだった。

多分、生きてさえいればいいのだ。 何を思おうと、どれほど揺れようと、生きていることそのものが、なによりの生の証明である。 問題は常に生き延びることであり、きっとそれ以上の理屈は必要ないのだろう。

それだけの会話を交わし、私の最初の仙術修行は終わった。

(『仙人入門』、144~150頁)



もちろん、あの凍死するような高い山でのことである。

その後、著者は約束の日に仙人に先導されて山の麓へ下りた。

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[ 2013年02月01日 22:32 ] カテゴリ:忍者少年の仙人入門 | TB(0) | CM(0)
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