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武士同士の対決は実と実との対決であるが、忍びが戦うときは常に自分は実であり敵は虚である。「正忍記」その5
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忍者少年の仙人入門(7)「今=中庸」

「仙人入門」の著者は、日本でも中国でもどこでも押しかけて弟子にしてもらっていた。

正規の手順に沿った教授法は著者にとって不要なのかもしれない。

与えられたものに全力でぶつかってゆき、その中で自分なりに解釈し取得していく様子は読んでいて晴れ晴れする。

それだから、仙人も姿を現したのではないか。


「仙人入門」
程聖龍著



から引用する。


…いくら仙人に会いたいと思っても、会えるか会えないかの前に、まず見えるか見えないかで選別されてしまうのかもしれない。

他の仙術修行者と話をしたときも、仙人らしき人物の風貌については意見がまったく違っていた。 私が見たのはいかにも仙人らしい服装で、痩せた髑髏のような風貌をした人物だったが、別の人の話では布袋様のような服を着て、顔も身体も福々しい人物だという。 どうやらそれぞれが自分のイメージに応じて、まったく違うものを見ているらしい。

(中略)

あとで他の仙術修行者に尋ねたところでは、皆同じように空中に浮かぶ彼を見た経験があるという話だった。 すると、全員で揃って催眠術にでもかかっていたのかもしれない。

仙術というのはあくまでも「術」であるため、私も含めて修行者が自分自身の見たものを心の底から信じていなかった。 自分の知覚が誤っているかもしれないという視座を常に抱いたまま、それでも見てしまったものは見てしまったものであるというスタンスで修行を続けていた。

(『仙人入門』、157~159頁)




著者は、軍事訓練にて武術の教授を務めたことがある。

場所は書いていないが、日本ではない。

平和時の話しではなく、平和だった場所が突然戦場になるような国境沿いにゲリラが出没する危険地帯であった。

初めて戦闘に遭遇し命からがら脱出できたものの、この時見たものが何だったのか、仙人のもとへ何度か尋ねて行った。

連絡しようがないので突然行っても会ってくれたようである。



……けれど私が戦場の様子を話し、生と死についての疑問を口にしたとき、彼からは意外なほど素っ気ない返事しか返ってこなかった。

「それがどうしたというのだ」

私は言葉を失った。 彼は淡々と続けた。

「おまえが死んだのなら、話さねばならぬことも、考えねばならぬこともあるだろう。 しかしおまえはこうして生きている。 ならば、それでいいではないか」

それだけで終わりである。 他には見事に何も言わなかった。

死んだのなら、考えねばならないことがある?
しかし、死んでしまったら考えられないではないか。

彼が何を言いたいのかわからぬまま、私は消化不良の気持ちを抱えて山を下りた。

(『仙人入門』、220~221頁)



その後、ゆっくり時間をかけ著者がわかってきたことは、

「過去を軽んじているわけでもないし、未来を軽んじているわけでもない。 内家拳という武術を通して、『今』という中庸の真の在り方を探り続けている」(同、221頁)


ということで、「今=中庸」についての記述を引用する。


世界が「天地人」と「過去・現在・未来」のすべてが渾然一体となって存在するなにものかであるならば、それは中庸の意味を考えさせられる。 中庸とは「何かと何かの真んなか」ではない。 つまり「良い」と「悪い」の真んなかに「ほど良い」があるわけではない。 それを中庸だと考える、その考え方自体が間違っている。 なぜなら「良い」と「悪い」は別々に存在することなどできないからである。 「良い」と「悪い」は一方の在り方が、そのまま他方の在り方を支えているひとつの対概念であり、どちらか一方では存在しえないものだ。 

だから「中庸」とはあっちこっちに存在する「良い/悪い」の中間点を探す作業ではない。 「良い/悪い」の両方が同時に存在している地平を探すこと、それが中庸を見出すということなのだ。

同じように「過去」と「未来」も別々には存在しえないものである。 未来はずっと遠くのどこかではないし、過去ははるか昔のどこかではない。 そして「過去」と「未来」がふたつながら同時に存在している地点が「今」なのだ。

だとすれば今と過去のつながりは、どこかで今と未来のつながりに連なっていく。 今をちゃんとすることが過去を作り、今をちゃんとすることが未来を呼び寄せる。 おそらくはそれが中庸であり、自分の生命を継続させてゆくものとなる。

(『仙人入門』、219~220頁)





著者を通じて仙人の生き方、考え方を私は学んでいる。

まるで禅問答のようなやりとりである。


同じようにトム・ブラウン・ジュニアを通じて、アパッチ族のインディアン・グランドファーザーの生き方、考え方を学び、そこに共通するものがあることを感じた。

だから、友人が私の話を聞いて、この本を紹介してくれたのだと思う。

「生きることの証」をそれぞれが見つけるのであって、どっちが上だとか下だとか価値や優劣判断したり、他人のまねをしなくていいのである。

仙人入門
仙人入門―悠久の大地に生を求めて
東京書籍 (単行本:2000/09)


著者のHP:
程聖龍国術舘

中国武術講座 第2回
中国武術の特徴
http://www.kokujutsukan.co.jp/tokutyou.html
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[ 2013年02月05日 14:53 ] カテゴリ:忍者少年の仙人入門 | TB(0) | CM(0)
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