ビー太郎サバイバル日記

武士同士の対決は実と実との対決であるが、忍びが戦うときは常に自分は実であり敵は虚である。「正忍記」その5
ビー太郎サバイバル日記 TOP  >  ビー太郎日記 >  シャーマンとイルミナティ悪魔主義

シャーマンとイルミナティ悪魔主義


第三諸国で国際協力の現場で仕事をしたとき、現地の人たちが何故豊かになれないのか考えてきた。

農村の生活向上を目的としたものだ。

いろいろ原因が思い浮かぶなかのひとつは社会制度が彼らの生活に合っていないのではないかという疑問であった。

私たちの仕事は、現地の方々を伝統的生き方より新しい社会に慣らすのが仕事みたいなものだ。

現代の社会制度の仕組みを考えると、どうしても国際的な制度に目をやらざるを得ない。

それが、イルミナティについてもっと詳しく知りたいと思ったきっかけだった。

さいわいイルミナティ悪魔主義についての文献も以前に比べると豊富に出回っている。

いつも、不満だったのは、悪魔主義はわかったが、それに対抗するものの概要がつかめない。

悪魔主義が混在している神やGODというものでないことはよくわかる。




古代の昔にあったのだろうか、未来で待っているのだろうか……

こんな事を考えてもらちが明かない。

サバイバルなら、過去や未来というより、生き続けている今の人間になにかを見出さなければならない。




シャーマンや仙人は昔にいたのではなく、今でもいる。

未来で待っているのではなく、現代でも現われる。

いまの人間で心身ともに準備が整えば、出会うことができる。

イルミナティ悪魔主義の存在を信じていて、シャーマンや仙人が存在しないなんてありえないじゃないか。



現代とはどういう時代なのか考えると、

イルミナティ悪魔主義の物質文明の力が勝っているといえる。
精神の物質化で宗教が生れ、依存心・執着心を養い、二者択一で判断される。

「過去・現在・未来」という時間枠の概念は、この時代に起きたものだ。

「ゆりかごから墓場まで」というこの世に生を受けて心臓が動いている間が生きている状態という時間枠も物質文明の悪魔主義の考え方だといえる。

その証拠に純粋なシャーマンや仙人の時間の概念はそれとは別のものである。

「仙人入門」の程聖龍師による「今=中庸」の考え方はわかりやすい。

しかし、このような考え方は現代において一般的でないとされ、時代遅れ、空想話ですまされているのではないだろうか。




イルミナティ悪魔主義はよく奴隷社会、管理社会といわれるが、そのとおり人間をひとつの法則のもと管理しようとする。

そのための学問であり、それを基準に法律を作り、制度がある。
人種、宗教、国家もまた一つに心を執着させるためにそれぞれつくられ、また、他者との対立のために利用される。

えっ、誰に利用されるって?




シャーマンや仙人の考え方は「今=中庸」なので、ひとりひとり生きる目的も違うし、導き出る答えも違ってくるし、何をするのかも違っててかまわない。

シャーマンになれる者もいれば、そうでないものもいる。

しかし、天然自然のもとに生まれた以上、天然自然の法則が存在し、それに逆らうことはそれなりの報復があることで、失敗したり、壊れたり、最悪の場合、死がもたらされるかもしれない。

だが、シャーマンや仙人には「死んだらおしまい」ということはないようだ。

日本の忍者もまた時の権力にあまんずることなく道理に重きを置いていた。


「今=中庸」の考えでいくと、

イルミナティ悪魔主義がいくら勢力を伸ばしても完全に切り替わることはない。

純粋なシャーマンや仙人に生きのびる知恵がある。

関連記事
スポンサーサイト
[ 2013年02月06日 21:42 ] カテゴリ:ビー太郎日記 | TB(0) | CM(0)
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
この記事のトラックバックURL

プロフィール

beetaro

Author:beetaro
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新トラックバック
検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR