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武士同士の対決は実と実との対決であるが、忍びが戦うときは常に自分は実であり敵は虚である。「正忍記」その5
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「道」と「道教」

忍者少年の仙人入門を書いているとき、もうひとつ「仙人入門」というタイトルで本を書いている人を見つけた。


高藤聡一郎(1948年~)

こちらはググるといろいろでてくる。

一時期、世間を賑わし仙道ブームの火付け役にもなったそうで今でも関心を持つ人が多いようだ。

といっても、ウキペディアに出てくる著書のタイトルを見ただけでは興味がそそられない。



しかし、本人は日本に見切りをつけて海外に出たきり消息がないようで、

いまどうしているのかわからない…という。


インターネットに出ている情報のみで判断すると、同じ「仙人入門」でも違いは明らかである。


友人が紹介してくれた程聖龍師のそれは、純粋なアパッチ族のインディアンのグランドファーザーに通じるものを感じたし、その考え行動を見て確信したりもした。

本を読む限りその筋道はもっともであるし、より自然に近い。

子供の頃から野山を駆け巡り、身体が動作の感をつかんでいないとこの動きはなかなかできるものではない。

学力偏重、知識優先の勉強法で幼少の頃より英才教育を受けられた方には理解できないだろうし、身体もついていかないので相当の努力が必要であろう。

健全な精神は健全な肉体に宿る…のことわざ通り心と体の動きは瞬時に連動する。

忍者や武士がめざした反射神経は、感じた瞬間身体が動いていることだった。

時代が時代でなかったら、彼らはシャーマンになっていたに違いないと思わせるような身体能力を身につけるべく精進していたようにみえる。

シャーマンになるほど高い精神性がなければ、その技量において働くであろう。


そして高藤氏と比べてみるなら、こちらはかなり人工的で打算的でエゴ的ある。

ちらっと見た感じだが、現代の要望に答えて登場した物質化した仙道が現われたかのような印象をうける。



「道」と「道教」の違いがある。


そうすると、目指す方向も違ってくる。





参考当ブログ:
道はスピリットである

http://akazukinverde.blog.fc2.com/blog-entry-4.html

忍者少年の仙人入門
http://akazukinverde.blog.fc2.com/blog-category-5.html


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[ 2013年02月13日 21:38 ] カテゴリ:ビー太郎日記 | TB(0) | CM(0)
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