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武士同士の対決は実と実との対決であるが、忍びが戦うときは常に自分は実であり敵は虚である。「正忍記」その5
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正忍記 その4/忍兵(忍び)の品の解説

〈武道選書〉
忍術伝書 正忍記


藤一水子正武著
中島篤巳解読・解説
新人物往来社 
平成八年八月二十日初版発行





以下、中島篤巳氏による解読・解説。




【忍兵(忍び)の品の解説】


「忍びには唐間、嚮導(きょうどう)、外聞、忍者、盗人の五種があり、技術をよく修得した独行独人を一単位の忍びとすべきで、二人、三人と組んで忍ぶことは未熟者が手かせ足かせとなってよくない。 よい仕事は結局一人の錬士の働きによることになる」として五種の忍びについて説明している。 ただしこの項は史実に誤りが多いので、読み下し文の用語解説を参照していただきたい。



一、唐間

正忍記は「中国の忍びの起源は軒黄帝(黄帝:こうてい)にまで遡(さかのぼ)るという。 “左氏伝”(孔子の魯国史記録書“春秋"に五家五種類があり、そのうちの戦国中期の左丘明による春秋)では忍びを長(諜)と言い、後には細作と呼ぶようになった。 (殷の)湯王(とうおう)の臣下に伊尹(いいん)という者が周(殷)の紂王のもとに忍び込んでこれを亡ぼしたという。 また呉王闔閭(こうりょ)の臣下である孫武は五間(後述)をもって戦術を練った」という。


ここで述べられている「黄帝」とは古代中国の伝説上の五聖帝の最初の一人で、後漢以降になって黄帝は神仙術や道教で神格化されたために幅広い信仰を集めている。 興味深いのは忍びの原形に少なからず関与したと思われる中世の職能集団である香具師(やし)の守護神が「神農」という点である。 神農は他にも中世香具師とは共通項であるが、薬師の神でもあり、薬売りは忍びが最も得意とした職業の一つでもある。 その神農は中国古代の伝説上の帝王であり、皇帝との重複が示唆されているところでもある。 すなわち正忍記の記録から読み取れる「忍び―中世職能集団―黄帝信仰」の連鎖は、一部ではあり得ることだろう。

忍びを「最初は諜(ちょう)、後に細作(さいさく)などと呼ぶようになった」とあるが、他にも遊偵、水破(透破:すっぱ)、徒破(つっぱ)、乱破(らっぱ)、軒猿(のきざる)、三つ者、出抜、忍び、郷談、間諜、遊子、行人、姦細、間など忍びの呼称は国や時代によって異なる。

歴史的には殷の湯王が討ったのは夏の悪虐王桀王(けつおう)であり、紂王(ちゅうおう)ではない。

「史記」(第三巻、殷本紀)によると、紂王は殷代最後の王となっており、この紂王に関しては藤一水子の認識に誤りがある。 しかし間違いとはいえ、これだけの論陣は藤一水子正武の教養の高さを物語るものである。

孫武は「孫子」の著者とされている人物であり、孫子は日本の兵法では諸流において必ずといってよいほど引用されており、兵法のバイブルである。

その孫武が使い分けた五間、すなわち「五品の間」に関しては「孫子」の「用語」編を抜粋して参考に供しておく。

「間を用うるに五あり。 

郷間あり、内間あり、反間あり、死間あり、生間あり。 

五間共に起こりて、その道を知ることなく、これを神紀となす。

人君の宝なり。

郷間とはその郷人によりてこれを用うるなり。

内間とはその官人によりてこれを用うるなり。

反間とは其の敵の間よりてこれを用うるなり。

死間とは的に委つるなり。

生間とは反り報ずるなり」。


さて「唐間」についてであるが、正忍記では五つの間をあげて次のように述べている。


“因口の間”とは、敵国の言葉を使いこなして、敵国人に成りきる間者で、日本の“奪口忍”と同じ。

“内良の間”とは敵国人を味方の間者として引き込む。
ただし敵も同じように間を仕向けるので、こちらから敵の偽間者を仕向けるので、こちらから敵の偽間者を作ってうまく使うもよい。 これは日本にもあるが、慎重に用いなければならない。

“反徳の間”とは敵の忍びを味方につけることである。 日本では“反り忍”という。 敵の忍びを見破る方法は下忍に不似合いな利口なことを言ったり、過ぎた道理をいう者などは、皆教えられてきた者と考えてよい。

“死長の間”とは一命に変えて目的を達成する間者である。 それ故に充分に恩を施してやり、ここぞと思うときに忍ばす。

“天生の間”とは敵国に潜入させて、そこで生活させておく。 以上五間を日本で“忍び”という」

以上は唐間即ち中国の間者についてである。 正忍記の忍びの種類は続く。



二、嚮導(きょうどう)

いわゆる案内であるが、これは土地の者が確かであり彼らと打ち解けるのが一番よい。 昔、佐々木三郎盛綱は浦の男と親しくして白鞘巻(しろさやまき)の太刀などを与え、馬を渡すことが出来る浅瀬を教えてもらったのも嚮導の類である。



三、外聞(がいぶん)

目的地に入り込むのではなく、周辺の噂などから情報を収集する。 しかしそれが間違いかどうかを注意しなければならない。



四、忍者

日本の間者で常にあぐねることなく、また昼夜の別なく忍ぶ。 盗人との違いは、忍びは私欲で物を盗まない。 名人ともなるとどんな所でも忍び込み、道が無くても無事に帰ってくる。 術の奥は深い。


五、盗人

不敵なやからで道理をわきまえない。 目先の理にとらわれて大局を失う。 結局は盗みで身を亡ぼすという語るに落ちる連中である」




この項ではすでに「忍者」「忍びの者」という言葉が使われている。


(『正忍記』解説、33~35頁)




黄帝の頃より忍びはあったと、語る。

アメリカ・インディアンのサバイバルの技術がちょうど忍者の技術と似ているといわれるように、人類の誕生とともに生活するうえで備わっていたものかもしれない。

日本の場合、縄文一万二千年といわれるごとく、平穏な日々が続いたことだろう。

忍びの技術が古代中国から伝わったというのは、戦術における技術と考えられないだろうか。

推古九年(601)、新羅の間諜者を捕え…云々は、その戦術が日本にも必要とされた時期、

日本に居ついた渡来人が戦術を教えたとも考えられる。




『正忍記』
名取三十郎正澄/藤一水正武(ふじのいっすいまさたけ)丈夫著
巻頭言 勝田何救斎養真
延宝九年(一六八一)

解読・解説 中島篤巳
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[ 2013年02月27日 21:00 ] カテゴリ:正忍記 | TB(0) | CM(0)
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