ビー太郎サバイバル日記

武士同士の対決は実と実との対決であるが、忍びが戦うときは常に自分は実であり敵は虚である。「正忍記」その5
ビー太郎サバイバル日記 TOP  >  震災のおきみやげ/佐々木和子 >  震災のおきみやげ/2 現代という鏡

震災のおきみやげ/2 現代という鏡

前回、「鏡」について書きたいと書いた。

といっても、ここでの鏡は、「自己意識的全体意識」を意識させる鏡であって、モノとしての鏡でも宗教で取り上げられるような象徴としての鏡でもない。





佐々木和子さんの表現では、

このガレキを見た詩人の照井良平先生は、災害に遭遇してその廃墟となった、さっきまで生活していた跡地をさまよいながら、その状況を「鏡」にして自分を見ておられた。


この場合、ガレキが鏡になった。

何ごとも起こらなければ、ガレキをガレキと見るでしょうが、あの震災の後、
ガレキに自分を投影された。

そして、その周りに目をやり、意識を移した。

ガレキとなったモノの元の姿や、破壊の力や、見えない結び付きを感じられた。

詩人はそのように見えないものをことばを通して詩に託した。

話しは違うが、芸術とはこういう状況下で生まれるものかもしれない。




「鏡」は反射したものを映すように、モノの表面しか見せない。

その裏側は見られないのである。

当たり前の事だが、実際は裏も横もある。




現代社会は、この鏡のような世界である。

科学も物理も、この表面しか見ようとしていない。

科学も物理も自然を証明する一部でしかない。

新たな発見がなされるときは、その表面の背後に関心を持った時である。








もっと、大きく目をやると、月は鏡である。

この月は、自転しないのでいつも同じ面を向けている。

裏は見えないが、裏も存在する。

地球に向けている面は太陽の光で反射して、その光が地球に届いている。

光だけでなく、月に反射して地球に降り注ぐ宇宙線も存在する。


月を見てその周りを意識してみる。
餅つきするウサギを捜さなくてもいいから、月の存在に注意を払う。

月は太陽系の中にあり、地球の衛星である。



かつて、月を中心に陰暦を作った人々がいたが、現代は太陽暦が主流である。

日本も中国から学んだとき、陰暦を使ったが、西洋から学んで太陽暦に替わった。

同じように、暦の数え方は、どこを中心にするかで変わってくる。

別に、太陽や月だけでなく、他の星を起点にすえれば、また別の暦ができる。

ただ、現代はなんといっても太陽が中心の時代である。

月は太陽が無くなれば、到達する光もなくなり反射することもしない。

太陽あっての月なので、その逆はない。

月はなくとも太陽は自分で光っているのである。



日本人が陰暦から太陽暦に乗り換えるすばやさは、単に新しい進歩した習慣というだけでなく、そのモノの本質を、時代の到来に沿うものとして感じたからかもしれない。







「自己意識的全体意識」は直感にも似ている。

鏡に囲まれた部屋で自分を映し出すだけで、その背後や関係を見ないでいるのが現代社会のようだ。

意識を自分に向けたら自己主義になる。

意識は外へ向けるものである。



関連記事
スポンサーサイト
[ 2013年03月02日 22:33 ] カテゴリ:震災のおきみやげ/佐々木和子 | TB(0) | CM(0)
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
この記事のトラックバックURL

プロフィール

beetaro

Author:beetaro
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新トラックバック
検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR