ビー太郎サバイバル日記

武士同士の対決は実と実との対決であるが、忍びが戦うときは常に自分は実であり敵は虚である。「正忍記」その5
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虚構時間(フィクションタイム)

私は武術といえば、弓道しかやったことがない。

しかし、武術のイメージは剣道とか柔道とかどちらかといえば闘争のような部類に考えてしまう。

弓道が一番そのイメージから遠かったから、やったのかもしれない。

それも、一通りの型を覚えたらつまらなくなってやめてしまった。


しかし、蓑内宗一氏の「ツボと日本人」とかの書籍を読んでいると、武道の目指す方向が現代の武道の考え方とまったく違うことがわかって興味を増した。

武術の達人になるには、この経絡とツボを熟知していないと効果が無い…とおっしゃている。

そして現代人は、この経絡とツボを考えない動きをしているから不健康な人が多い…とも。

武士が編み出した行動則を日常に活かすべきだという。

もっともなことである。

武道鍛練術
武道錬金術

蓑内宗一著
森庸年編

砂書房
1996年




「虚構時間(フィクションタイム)」の行動が必要となった社会

季節感の喪失をよくいわれます。

たとえば「模糊(もこ)と暮れてゆく春の夕」、とか「青嵐(せいらん)」、「清風」、「白南風(しらはえ)」、「野の錦」、「鐘凍(い)てる」などの優雅な歳時記の言葉も、都会人はもはやピンとこなくなりました。

それよりは、光化学スモッグだとか、ヘドロの海とか、あるいは××川上流では、カドニウム含有量がいくppmになったとか、垂れ流しの工場排水で名物のシジミも全滅に瀕してるとか、廃油で海苔もテングサも採れなくなったとか、のほうが一般的に理解しやすいのかもしれません。


大自然という恩恵のなかで、のびのび生き続けてきた時代の人間には、およそ夢にも思い浮かばなかった、人工的な公害や、環境破壊による脅威の中に喘いでいるのが、二十世紀末の人間のすがたです。

以上のような自然空間の激変に、相呼応して、「体内時計」(体内の時刻)や、社会の「仕事時間」(執務時間、勤務時間)にも、二十四時間・日周期という「自然時間」とは次元の異なった虚構(フィクションタイム)時間が悪魔のごとくに押し寄せてきました。

昼夜二部制ともいうべき生活―まったく昼夜逆転した生活をする人の増加です。 これを続けていると必ず健康を害することうけ合いです。

(中略)

また、ギャンブル人口の増加もあげられます。

日常生活や労働における「持久力(ねばり)」と「休息」の繰り返しとは違って、ギャンブルは緊張の連続です。

そして勝負は一瞬の間に決するのです。

取引株や為替ディーラーなど、一瞬のうちに何億もの金を稼いだり、失ったりします。

これなどは、明らかに虚構時間の行動といえるものです。

(中略)

毎日が虚構時間のまっただなかにいながら現代人は、新しい「行動則」を生み出していないのが現状です。

そのためストレスを受けて、自己を起こしたり、病者となっています。


昔の武士の声を聞いてみましょう。

かれらは一生を一瞬に賭ける虚構時間ととらえ、ここに生きる、みごとな「行動則」を生みだしました。

(中略)

では、われわれ現代人はどうすれば良いのでしょう。 一瞬に賭け機会が日に何度となく、おとづれる生活を強いられているとすれば、むかしの武士以上に心身を鍛錬することが必要なのではないでしょうか。 一瞬に勝つために……。

新しい「行動則」もその鍛錬の果てに見えてくるハズです。

(『武道鍛錬術』198~201頁)




本書は昭和46年(一九七一)年、鶴書房より出版された…蓑内宗一著作出版会の森庸年が、時代にそぐわなくなった部分や、現代の読者には難解になった箇所を補筆し、修正し、装いを新たにして上梓しました(同書、212頁)…と附記にある。

森庸年(もりようねん)氏は1944年生まれ。 蓑内宗一氏に師事し健康を劇的に回復された…とある。



そう今まで、武士の格好ばかり目についてで「行動則」までは考えたことが無かった。


みんなが規律やマニュアルにそって決まった動きをしていたら、あんなに数多くの流派など生まれなかっただろう。

闘いに臨んで勝つためには、相手の知らない技を修得していなければならない。

その技をあみだすために経絡とツボの原理を知っていなければならなかったのだ。



あの時代で「虚構時間」というとらえ方が面白い。

現代の都会生活は、さらに人工的な虚構の中に生きているようなものだ。

ときどき無気力感におそわれるのは、そのせいかもしれない。


「虚構時間」を前提にした新しい生活の仕方を修得しなければならないということか。


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[ 2013年03月04日 16:00 ] カテゴリ:蓑内宗一 | TB(0) | CM(0)
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