ビー太郎サバイバル日記

武士同士の対決は実と実との対決であるが、忍びが戦うときは常に自分は実であり敵は虚である。「正忍記」その5
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虚構時間 3/日本対台湾戦

最近、インターネットでは国際野球大会(WBC)のことがもちきりだ。

といっても、野球は「巨人の星」以来という、話しにもならない状態なので、試合内容について意見をいう立場ではない。



なんでも3月8日の日本対台湾戦に日本が延長線の上勝利した試合の濃さが話題になっている。

観衆の態度が好評で野球の試合内容以上に盛り上がっているようだ。


参考:WBC日本対台湾戦の素晴らしさ
http://nyliberty.exblog.jp/20128301/

正々堂々とした勝負だけでも気分を高揚させるのに、そこへきて311復興支援の感謝のプラカードとかエール交換とか相乗効果として良いほうに高まった。

スポーツとはこうあるべき好例である。

お互い評価し合い、健闘をたたえ合うのは誠心誠意、力を出し切った時に起きるもので、不正や虚偽や不信があるときにはこのようにならない。





武士が、生死にかかわる一瞬に人生を賭けるように、選手たちは勝負に人生を賭ける。

これまでの鍛錬の仕方、および練習の成果が表れるときであるということに変わりないが、生死をかけないところが違ってきた。

平和な時代の戦争のかわりの競技である。

ので、いつ戦争にとって代わってもおかしくない代理の状況が生み出される。

本当の戦争で命を落とすのと、戦場でなくとも命を落とすのとどのような違いがあるのか。


日々、競争社会においまくられて気分は戦闘モードである。

ということは、武士たちが感じた虚構時間に身をゆだね、一瞬の生死に人生を賭ける生き方をしていることと、なんの変わりがあるのだろう。


今日、直接武器を携え血みどろの戦闘をしなくても、詐欺、詐称、誤魔化し、勧誘、社会不安、環境汚染などいくらでもわが身を脅かすものは多様化し身近に存在し、対人不信におちいり、用心に疲労する。

気にしないのが一番だが、

気にしなくてもよいように、知識の集積、情報の確保、生活の工夫等、防衛のための準備は必要だ。


トマス・ホッブスの「万人による万人の戦い」は、利己的である人間がまわりを全部敵にすることだが、まさにそのような状況を設定されている。

ホッブスは放っておいたら人間は利己的になると想定する。

それでは、利己的にならなければそういうことにならない、というだけでは、ことばを反すだけで実践というものがない。


武士たちはその実践の中に身を置いた。

武士が恐(畏)れられたのはそういうところにあったのかもしれない。




手に汗握る野球観戦で心臓発作を起こし救急車で運ばれたのでは気の毒としか言いようがないが、武士にとって戦わず自滅したことで論外である。


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[ 2013年03月09日 23:20 ] カテゴリ:未分類 | TB(0) | CM(0)
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