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武士同士の対決は実と実との対決であるが、忍びが戦うときは常に自分は実であり敵は虚である。「正忍記」その5
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道はスピリットである


ロードは、道(road)かキリスト(Lord)か、
道は、ロードかスピリットか



こんな言葉のごろ合わせをして遊んでみた。


「武士道」を英語で「サムライ・スピリット」と訳していたのを見たからだ。

「道」を「スピリット」と訳してある。

そんな違和感は感じない。


トム・ブラウンのインディアンの師グランドファーザーの生き方を見て、

シャーマンとは治療師であり戦士である。

戦士は敵をやっつけはするが殺すのではない。

しかし、悪魔に関しては容赦できないとグランドファーザーは言う。



山本健造氏による縄文日本民族が現在の飛騨の地に最初に現われたシャーマン的な神通力に恵まれたひとびとだったなっら、

その後の時代の変化に順応しながら、あらゆる職種において最高の技を磨くよう精進されるであろう。

それは、人々の生活の向上のために作られるものであって、階級制度における下のものが上のものへ献上品を贈るのが目的ではない。


国造りが必要とされその過程で組織され登場した戦士、その後のサムライもまたその役種に応じ突き詰めるところ同じような精神を担う。

防衛を司るにはシャーマン的な精神でないと、その力を利用し、ならず者化して不届きな行動に走ってしまうと思ったので、古武術をたしなむ友人に聞いてみるとまさにその通りだという。

第三諸国において、近代文明化され治安制度が導入されると警察官が一番危ないと笑い話にならない逸話が蔓延しているのは、形式だけが取り入れられているからである。

しいては、軍隊が殺傷能力のみ尊重されがちになるのも、精神なき戦争をしかけるからである。


サムライだけでなく、日本では事あるごとに「○○道」とすべて道がついてしまう。

人間の発露、行動は「道」である。

すなわちスピリット。



スピリットとは何とも軽い感じである。

だが、いままで重く考えすぎていたかもしれない。


ただ単に漢字だけ見れば、

宗教は「道」ではない。

「教」なので先生と生徒の関係である。


タオは「道」なのか「道教」なのか。

或る時は、スピリットであり、また或る時は宗教である。

順序から言えば、「道」が先で、秘密結社的な「道教」になったのはあとのように思える。


参考:akazukinのブログ
中国の秘密社会 2010-11-28

http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-10718864620.html




現代の宗教に欠いたのは行動であったかもしれない。
釈迦もキリストも苦行、修行、病人の治癒とあれほど行動していたのだ。

テレビにヒーラーとして出演している者、人の弱みに付け込み銭を稼いでいる者は何者なのだ。


都合よく宗教と軍隊と分業させられたかもしれない。
イエズス会師が先に偵察としてはいり情報を集め、次に軍隊を送って植民地化するという具合にである。


宗教がまったく別の目的で作られたものと感じるのはそのためである。◆
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[ 2013年01月17日 20:24 ] カテゴリ:ビー太郎日記 | TB(0) | CM(0)
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