ビー太郎サバイバル日記

武士同士の対決は実と実との対決であるが、忍びが戦うときは常に自分は実であり敵は虚である。「正忍記」その5
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「部民(べみん)」と「伴(とも)」

3月9日付「虚構時間 3/日本対台湾戦」

を書いた。

ここで「知識の集積、情報の確保、生活の工夫等、防衛のための準備」

との言葉を使ったが、実をいえばこれは抽象的であることは承知していた。

自分が思っているのと他人が思っているその尺度が違うことを念頭に、

また、自分が思っていることが正しいとは限らないということも念頭に、

その時流の状況下で意味合いが替わるのも念頭に、

固定できないが、落ち着き場所をさぐるようなものだ。





3月11日付「正忍記 その5/一流の次第の解説」
の中で、

「武士同士の対決は実と実との対決であるが、忍びが戦うときは常に自分は実であり敵は虚である。」

というのに共感を覚えた。


これを自分なりに解釈をすると、


武士も忍びも虚構時間を一瞬に賭けている。


武士は実と虚でありながら、常に実の行動をとる。

忍びは実と虚でありながら、常に実の立場に身を置く。



この違いは、

武士は「武士道」といわれ、精神を律することが前面にだされる。

忍びは「忍びの道(みち)」なので仕事の種類として仕切られる。


武士は日の当たる大通りを歩き

忍びは陰に潜んで進む。


武士の下に忍びはつくが、逆はない。

と。


現実の世に「実と虚」がある。

陰陽で表現してもいいが、ここでは「実と虚」である。


庶民も「実と虚」のなかに身を置いているが、命をかけることが前提でない。
ゆえに命がけで事にあたる武人や神業を敬う。

忍びは人知れず行動するので、敬われることもない。

敬(うやま)われなくとも、羨(うらや)ましいとは思わない。






玄侑宗久という現代の僧侶が月に一度東京新聞にエッセイを寄せている。

この方の文章は、ちょっと違う視点があるので目についたら読むことにしている。


情報というものに追われる生活をしていないので、新聞も溜めてから時間がある時読み返すようになった。

ちょっと前の記事だが玄侑さんの記事があったので読んでみた。

書き出しは、なんかどうでもいい様な感じで始まるが、最後のことばが気になったのでいきさつが知りたかったのでわかるまで読んだ。



2013年3月2日東京新聞/文化面(13面)

玄侑宗久

「うゐの奥山」第12回、「効率と和合



奄美大島へ行かれた時の話しである。

そこでの人の動きが本土とは違うことを観察してあることに気がつかれた。


『よく考えると、これは奈良時代に朝鮮半島から「部(べ)の民」と呼ばれる職能集団が入ってくる以前の、「伴(とも)」という日本古来の仕事形態なのである。 同じ職種の人が集まれば確かに効率は上がるが、競争意識が強くなりすぎて和合の感覚は薄れる。 誰もが入れ替われるこの「伴」の形だと、それぞれの仕事の苦悩も皆が理解し、和合が保たれるのである。』


ホテルの女将が車でお客の送迎したり、按摩の代わりをしたり、料理長がフロントをやったり、支配人がお茶くみしたりというのが「伴」の形態だという。




以前、ビジネスリゾートホテルでも、雇われ支配人が料理したり客室を掃除したりと、これと似たようなことを新しい取り組みとして紹介していたテレビ番組を見た。

昔の日本はどこでも誰でも「伴」の精神で生活をしていたのではなかったのか。

西洋社会でメイドを雇うのが普通の認識なのに対し、日本人は自分でできることは自分でやってしまう。

奴隷制度が存在した社会とそうでない形態の社会の違いである。


武士も忍びも「伴」の形態のなかで生まれたもので安直に身分制度で分けられるものではない。




それよりこの「部(べ)の民」である。

玄侑さんは奈良時代朝鮮半島から来た職能集団と書いてある。

参考:べみん【部民】世界大百科事典 第2版の解説
http://kotobank.jp/word/%E9%83%A8%E6%B0%91


ということは、「部落」という言葉は、ここからは出て来たのではないだろうか。


「部落」が差別的意味合いを感じているのは「部(べ)の民」の当初の立場ゆえではなかろうか。


律令制度の発達した中国では身分差が顕著だった。

インドなど今でもカースト制や非人間扱いのアウトカーストが現在に至るまで残っている。

未来的にはワンワールド世界政府がカースト制ファシズム国家の誕生を目論んでいる。


差別を生みだす元凶は、差別しようとする低い精神性の意識と差別されたと根に持つ精神性の低さからくる。



部民が古代の日本に来て日本の「伴」の形態に入れば、逆にそのような競争意識や差別意識は薄れていくのではないか。

日本で最初に差別を受けたのは縄文日本人のエタ(飛騨族)であったと故山本健造氏は言う。


中国より導入された国家形態に律令制、職業別、身分制度があった。

その後、渡来帰化人と縄文日本人との混血も進み、適度に住み分けもされていたと考えられる。



現代の感情で当時を語ることも、もちかえすことも愚の骨頂である。

現代の社会の状況から判断すれば、カースト制の様に根強く残っている国もあるのに対し、日本に住む人々の感性にもそのような気配が希薄なことから制度の質が日本化されていったと考える。

時代の流動性の中で立場も変わる。


幕末明治維新、西洋化の波とともに新たに持ち上がった「被差別」云々は、その過程を無視した感情で対立をあおり発展を拒む、反人類的な民族分断のためのプロパガンダではなかろうか。






参考:古代(氏姓制度・部民制)
http://www.sol.dti.ne.jp/~hiromi/kansei/e_kodai.html

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[ 2013年03月12日 13:09 ] カテゴリ:部民(部落)/伴 | TB(0) | CM(0)
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