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武士同士の対決は実と実との対決であるが、忍びが戦うときは常に自分は実であり敵は虚である。「正忍記」その5
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正忍記 その8/人を破らざるの習いの解説

〈武道選書〉
忍術伝書 正忍記


藤一水子正武著
中島篤巳解読・解説
新人物往来社 
平成八年八月二十日初版発行



以下、中島篤巳氏による解読・解説。



を破らざるの習いの解説


「相手を論破したり打ち負かしたりするとそれで関係は終わりとなり、今後の謀が仕掛けられなくなる。 

また怒らせるとその時に損をするのみならず、他のことまでうまくゆかなくなる。

相手を時には抑え、時には持ち上げてうまく利用するのが一番である。

この機微を十分に心得ておかなければならない。

力には剛強柔弱があり、それぞれの用い方を知っておきたい。

これを知らなければ和らぐところで堅くなったり、引くべきところで強気に出るなどして誤まり、大失敗する。

“敵に成る”という言葉がある。

これは敵が現在置かれている立場に立って敵の心を読むことである。

“敵の心を取る”というのは、自分が相手に仕掛けた場合の時の相手の対応を推測することであり、これは“敵に成る”よりは一歩進んだ方法である。

さらに、“てきに離れる”というのもあり、これは自分は自分、敵は敵として考えることであるが、これで勝つことができるのは、よほどの達人だけである。

そんなわけで“てきに離れる”のは、普通の人なら労多くして失敗の可能性大となり、決してよくない。

相手の言葉や動きを分析して敵を読むというのは、忍びの世界ではまだまだ未熟である。

たとえば別れて次に会う場所を“どこで会おうか”などと質問しなくても、自然に相手に語らすという類こそが絶妙な技である。

いわゆる「以心伝心」であり、禅宗の「心を以って心に伝う」という悟りの極意である。

後述の「不立文字」と近い意味合いを持っている。

相手を読み、さらにそれによって自在に相手を誘導する。

これこそ忍技の真髄である。

これで大敵や才能ある相手を術中に陥れることが出来る。

この方法はしっかりと身につけるように訓練しなければならない」





「剛強柔弱」の出典は中国六世紀頃の「三略」である。

三略は上略、中略、下略から成るが、その上略に


「軍讖(ぐんしん:古代の兵法書であるが現存せず)に曰く、

柔能く剛を制し、弱能く強を制す。 

柔は徳なり、剛は賊なり。

弱は人の助くるところ、強は人の攻むるところなり。

柔も説くるところあり、剛を施すところあり、弱も用うるところあり、強も加うるところあり。

この四者を兼ねて、その宜しきを制す」




と始まり、「軍讖に曰く、能く柔、能く剛なればその国いよいよ光り、能く弱、能く強なればその国いよいよ彰わる。 もっぱら柔、もっぱら弱なれば、その国必ず削られ、もっぱら剛、もっぱら強なれば、その国必ず滅ぶ」と結んでいる。

対個人が目標である忍びの領域では剛強柔弱はさらに微妙な使い分けが可能となる。

「人を破らざる」は勝つために機をみて引き下がり、相手を油断させて情報を引き出したり、隙を突いたりして勝つ。

すなわち「柔よく剛を制し、弱よく強を倒す」はここにある。

「敵に成る」という言葉は宮本武蔵の「兵法三十五箇条」の第二十五項目と、この兵法書から発展した「五輪書」にある。

意味は正忍記のそれとだいたい同じである。

五輪書は正忍記の三十六年前に書かれており、この種の言葉はすでに兵法一般で引用されていたものである。

(『正忍記』、171~172頁)





『正忍記』
名取三十郎正澄/藤一水正武(ふじのいっすいまさたけ)丈夫著
巻頭言 勝田何救斎養真
延宝九年(一六八一)

解読・解説 中島篤巳
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[ 2013年03月29日 21:30 ] カテゴリ:正忍記 | TB(0) | CM(0)
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