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武士同士の対決は実と実との対決であるが、忍びが戦うときは常に自分は実であり敵は虚である。「正忍記」その5
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正忍記 その12/無計弁舌の解説

〈武道選書〉
忍術伝書 正忍記


藤一水子正武著
中島篤巳解読・解説
新人物往来社 
平成八年八月二十日初版発行



以下、中島篤巳氏による解読・解説。



無計弁舌の解説



「忍びだからといって話し方、教え方の肝要などがあるわけではない。

達人は事に臨んで始めて弁舌が爽やかになるし、謀(はかりごと)も湧くように思いつく。

前もってああしよう、こう対応しようと考えておいても、結局それは何の役にも立たない。

危険な時はなおさらである。

普段から理を極め心を安らかにしていれば、敵の変化に従ってうまく対応出来るものである。

心理状態が安定し聡明なら、事ある時には意識しなくても自然に理にかなった対応ができる。


忍びは本来は武士の役目であり、盗賊泥棒の類ではない。

だから昔から夜盗ではなく夜頭と名付けて、忍び上手を頭すなわち将として、配下に一群をつけた。

しかし大事な場合には忍びの頭に担当させたという。

時に臨んでは決して心命をおしんではならない。

“死中に活あり、活中に死あり。 生死の境に立った時は、自分すなわち命を意識してはならない”とある。


古歌に

空蝉の裳抜(もぬ)けのからと身はなりて
我もあらばこそ物怖じはせめ



とあるように、心を体から遊離して無我になり、恐怖感や感情に包まれていない純粋理性の我が姿を見つめることが出来たら怖いものはなくなる。


自分を感情欲情から離して“無”にすることが出来なければ、些細なことに振り回されて機会や情気を失い失敗の原因となる。

肝心な時には速やかに“無我”の境地に入り、冷静沈着に事を運んで目的を達成し、生きて帰るためには決して臆してはならない。

極論すれば、怒って我を忘れて物事を壊したりした場合でも“無我無心”である。

この辺を熟慮して悟らねばならない。

色々と説明していると仏法がましく、悟り損ねた禅修行者が迷っているようになるのだが、忍びの道においてその極みを察した時は、何を以て有とし、何を以て無しとするのだろうか?

おそらく“忍法は無我で仕掛けるなり”というだろう。

すなわち第三者が尋ねても忍びは宇宙に溶けこんでいるので形が無く、求めても自我を殺しているので心が無い。

ただ無我で得た自分の心に従って行動すればよいのである」




特に最後の段は実に難解であるが、さきの「無門関(むもんかん)」のように禅問答で解釈を進めればよい。

この項の「自心見性」とは「人心見性」であり、やはり禅の「直指人心、見性成仏」からの引用である。

また、「かねて定まりたる弁舌法要なし」の意味は禅の「不立文字(ふりゅうもんじ)」にあたる。

また極秘伝の「是を放てば六合にわたり、これを巻けば方寸の中にかくる」は禅の「教外別伝」にあたると考えられる。

以上の如く、正忍記の奥義は禅の境地と表裏一体の関係にあることがわかる。


ここで解釈を助けるために禅を代表するものに達磨の四聖句をあげておく。


一、不立文字(ふりゅうもんじ)

文字では伝えることが出来ないということで、具体的には「悟りの境地は文字で表現することが不可能な、純粋経験である」という意味である。

詰まるところ禅では悟りの方法は文字や言葉で伝達するのではなく、釈迦と同一の経験すなわち「座禅に励め」という。

この座禅は前項の「心を納め理に当たる」に共通点を見出す方法である。


二、教外別伝(きょうげべつでん)

他の仏教は「経典」が数学の中心となっているのに対して、禅宗は釈迦の教えを「教内の法」と言い、教典や数学では表現出来ない所の釈迦の教えが教外別伝であり、禅の真髄である。

この正忍記も総論的、例示的に記されているのはこの意味合いが含まれてのことであろう。


三、直指人心(じきしにんしん)

迷い込まずに素直に自分の心をみつめなさいということで、ここに言う人とは自分である。

いたずらに外にばかり目を向けてもだめで、あれこれと考えずに直接自分の心を見つめなさい、という教えである。


四、見性成仏(けんじょうじょうぶつ)

達磨四聖句では一番大事な句であり「悟りは自分が備え持っているので、その仏性に目覚めれば、仏になることが出来る」という意味である。





悟りの方法が座禅であり、それによって「無我」になる。

これが正忍記の「心を納め理に当たる」と共通な方法であることは先に述べた。


(『正忍記』、188~190頁)




『正忍記』
名取三十郎正澄/藤一水正武(ふじのいっすいまさたけ)丈夫著
巻頭言 勝田何救斎養真
延宝九年(一六八一)

解読・解説 中島篤巳
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[ 2013年04月07日 20:46 ] カテゴリ:正忍記 | TB(0) | CM(0)
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