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平成の「先祖になる」佐藤直志さんのご先祖


先日、「先祖になる」という東京新聞の記事を紹介した手前気になっていたが、やっと映画を観に行くことができた。

参考:『先祖になる』
http://akazukinverde.blog.fc2.com/blog-entry-25.html

先祖


昨年暮れのアメリカ日系人をテーマにしたすずきじゅんいち監督による三部作映画の第三部作目「二つの祖国で」はタイトルが女々しかったので足が向かなかった。

「MIS(ミリタリー・インテリジェンス・サービス)―人間秘密兵器」だったら行っていたかもしれない。

最初、米国で公開されたとき「MIS」が印刷されていたようだが、なぜ、「二つの祖国で」を前面に出したのか。

まあ、想像できる話である。

心情と現実とのせめぎ合いである。

シオニスト・ユダヤに配慮したかもしれない。

MIS



さて映画「先祖になる」に戻そう。

佐藤直志さんの家は高台にあったので津波で家が流されることは免れたが、それでも一階は浸水した。

地震の揺れと浸水被害でさえ、柱や建付けは曲がることなく水平を保ち耐えたことを自慢されていた。

気仙大工の技だと。

その家を建て替えるまでの二年間を追ったドキュメンタリーである。


震災被害でがれきの山に変貌したなか、村人たちがまず協力してしたことは被災したばかりの村で夏祭りの開催だった。

避難所生活する残った村人たちと山へ入って木を切りだし祭りの準備をする。

山車と山車をぶつけあう祭のようであるが、間に合った山車は一基だけだった。

一基の山車を曳くだけの祭りだったが、日常にない晴(ハレ)の催し物に人々が集まってくる。

佐藤さんは祭のお供えの寄進者名を墨で書いている。

まさに伴(とも)の形態である。


参考:「部民(べみん)」と「伴(とも)」
http://akazukinverde.blog.fc2.com/blog-entry-41.html


カメラは村の祠も映した。

佐藤さん制作の御神体が納められている。

自然の木を用いた男根と腰巻を巻いた女陰の二柱である。




ここから、私の考えが交差する。


この世界には拝む対象物を持つ民族とそうでない民族がいる。

飛騨族は水面に映した太陽の間接光を見つめ御魂鎮めしていたと伝えられている。

私がトム・ブラウン・ジュニアの描いたグランドファーザーとだぶらすところはこういう所でもある。



当時気候が今より温暖だった日本列島で飛騨族はまずは東北方面に広がっていった。

同じころ、別の種族が別のしきたりを持って住んでいたかもしれない。

男根や女陰の性器を拝む種族は昔昔、大陸やオリエントから列島に渡ってきたかもしれない。


性器を拝む伝統は大陸に存在する。


伏羲(ふくぎ)女媧(じょか)しかり、

バラモン教しかり、

悪魔主義者もそうだ。

ロスチャイルド家のシンボルはオベリスクそのものだ。


それらに侵略支配されたか、影響受けた部族なり種族はそういうものを奉ることが伝統となり、習慣化されたのかもしれない。

なぜなら、宇宙エネルギーを全身の気血で感知する能力があるのなら、崇拝する対象物は必要ないはずだ。

御魂鎮めは単なる瞑想ではなく、気血エネルギーの経絡の流れを円滑に行う行動則ではないか。

純粋なインディアンや縄文日本人はそんな能力を重視し日常に活かした種族(人間)だと確信している。



たとえ、別の習慣を持った別の種族が渡来したとしても、実害を及ばさなければ排除することも争うこともない。

むしろ一緒に発展することに努める。


宇宙原理にそぐわなければ取捨選択し退治したかもしれないが、その土地に住もうが、別の土地に移ろうが今自分が住んでいるところで努力する。

日系米国人は、自力で米国社会の地位を獲得し、地盤を築いている。

第二次世界大戦の悲劇を悲劇で終わらせない。



日本列島に古来より様々な種族が入り込み隣り合わせで生活して、種々雑多な伝統習慣が共存している状態が現在も続いている。

他の先進世界では見られない。

移民問題で諍(いさか)いが起こるのは、古代におきた戦争の民族淘汰の現代版ではないか。

あの頃は、力で支配されたが、現代は出生地や国、人種にこだわるようにされ、プロパガンダの流布に惑わされる。

自己主張しすぎると退治される。



佐藤直志さんのご先祖は違和感なく新しい土地に溶け込まれたのだろう。

別の習慣であっても別の土地で花開くことが出来る。

活かされるのである。


そのような習慣をいつどうして持つようになったのか。

考えられることはふたつ。

その習慣を持つ種族に侵略されたのか、または日本に儒教や仏教の伝来があったようにそのような情報の伝達があリ、受け入れ自分たちの伝統としたのか。

これは外圧によるもの。



もう一つ、神秘学で言うところの、宇宙進化論の地球期の始まりにおいて男女が別れたという、宇宙原理に通じる。

これは宇宙進化の現在の状態を感知して自主的に象徴して現わしたといえる。



生物は単体で増殖するのもいるように、生物発生の初期は単体であって、のちにオスメス二体になった。

現在の人間は生物界における最終段階であり、万物の霊長だというのはそういうことであるが、だからといって君臨するのではなく、地球環境に責任を持つのである。



アダムとイヴの話しは悪魔主義者が自分に都合良いように男尊女卑の形にしたもののようだ。

だからロスチャイルドの象徴がオベリスク一柱なのである。


日本で天御中主命(アマノミナカヌシノミコト)といったのは宇宙エネルギーの源のことで隠身(カクリミ)である。

その後のイザナギ、イザナミの話しはアダムとイヴの話しに似せてあとから作られたようで、最初女から声をかけたらヒルコが生れたと失礼な話しになっている。

飛騨の口伝者稗田阿礼(ヒダノアレイ)はそんなことは言わなかっただろう。

イザナギ、イザナミは飛騨族の実在のご先祖でヒルメムチ(のちのアマテラス)のご両親だと山本健造氏はおっしゃっておられた。


参考:akazukinのブログ テーマ「飛騨高天原」等

飛騨高天原の「出雲国譲り」事件 2009-11-11
http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-10385968130.html

「飛騨高天原」の飛騨族はスメラミコトの系統 2009-11-18
http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-10391309035.html





佐藤直志さんのご先祖は仲良く並べた二柱を伝えたようだ。

関東甲信越に多いとされる夫婦をかたどった道祖神という石碑が村の境界や辻に残っている。

現代的解釈は表面的に子孫繁栄を願うものになっているようだが、その隠れた奥は誰も知らない。





そうそう、二年目の夏には二基の山車が揃い激しくぶつかり合いを演じていた。


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[ 2013年04月10日 12:55 ] カテゴリ:未分類 | TB(0) | CM(0)
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