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武士同士の対決は実と実との対決であるが、忍びが戦うときは常に自分は実であり敵は虚である。「正忍記」その5
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悟りの武術、ルールの武道 その3

本屋で売っている武道に関連した本は教本と思っていたので読んだことはなかった。

強くなる技とか、秘術とか、あまり興味なかったのである。

蓑内宗一の「ツボと日本人」やその関連の本を読んでいくうち自分の考えていたことと違うことに気付かされた。

ようするに、学者や評論家や作家が書いてきた武士や忍者像と違うのである。


甲賀武士の家系である蓑内氏や、「正忍記」の忍者の生の声に心を寄せるとどのように時代の荒波を越えて生き延びて来たのか日本人の知恵が凝縮されているようだ。


さきに引用した『大東流合気二刀剣』( 曽川和翁著、愛隆堂、平成9年)は、たぶん他の武道教本とは違っている。


スポーツ柔道と喝破したり、その説明の仕方が独特である。


以下引用。



武道評論家たちは、勝者の、その勝因を科学的に証明しようとするし、敗者はその敗因が何処にあったのかその究明を試みる。

しかし武術と謂われるものは、個々の今までの培った修練を総括したもので、枝葉末節的な局所の究明では全貌(ぜんぼう)を解明することはできない。

さて武術というものには、各々に次元というものがあり、次元が異なればそこで使われるエネルギーは当然異なるものを使わなければならなくなる。


これを上げると二次元的なスポーツ武道、三次元的な実戦武道、四次元的な気界(厳密に云えば、霊界や神界の異次元パワー)のエネルギーを使う、次元の異なった古武術に区別される。

従って各々は次元の違いで、形式も、形態も、その修行法すらも異なってくるのだ。


二次元的な平面上を活動範囲とするスポーツ武道は、主に点から点への移動であり、それを上から覗けばその行動戦は直線であったり、腕や脚を振り回す範囲の半円形を描くものであったりしているが、それを側面から眺めると平面的な面の展開で、それには厚みや幅といった空間が無く、単にスピードと力のぶつけ合いが中心となる。


また三次元的な空間行動線を主体とする実戦武道は、側面から眺めると、それには厚みや幅の空間があり、行動線には常に螺旋的な動きが伴う。

動きは複雑であり、早い遅いが加わって、高低の落差が大きい。

そして球形を成す立体感がある。


四次元以上の気界のエネルギーを使う古武術は、種々の行法が付随している為、専(もっぱ)ら筋力トレーニングよりは、呼吸法や丹田養成法や精神修養が中心であり、それに集中力や霊的行法を用いて、心・技・体の《三位一体》を駆使する玄気(げんき)を用いる。

(『大東流合気二刀剣』、 曽川和翁著、愛隆堂、平成9年、161~162頁)





二次元的なスポーツ武道

三次元的な実戦武道

四次元的な気界、古武術



とその違いを述べられる。

「次元の違いで、形式も、形態も、その修行法すらも異なってくるのだ。」

とは当然のことで、古武術を実践していたサムライたちはいかような精神状態だったのか驚愕のかぎりである。

戦乱の世が平定された江戸時代が現代ほど規制がなくても治安が良かったというのはこの賜物である。

現代はルールで規制され、精神が養われていない為、気が緩めば破目をはずされるような醜態を演じる。


次元の話になるとスピリチュアルな人たちがよく使うが、これと同じで、「次は五次元ですよ、アセンションしますよ、宇宙人の話を聞きないさい」といってるだけでは、二次元にとどまっているのである。

頭だけ使って実践がともなっていないのである。
こういうのを、気違い、という。


精神世界だといわれる宗教も実は二次元であったというオチ。


もっと詰めていえば、悪魔主義の宗教が人間を二次元に抑え込もうとしている。
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[ 2013年04月14日 12:00 ] カテゴリ:未分類 | TB(0) | CM(0)
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