ビー太郎サバイバル日記

武士同士の対決は実と実との対決であるが、忍びが戦うときは常に自分は実であり敵は虚である。「正忍記」その5
ビー太郎サバイバル日記 TOP  >  スポンサー広告 >  部民(部落)/伴 >  三國連太郎氏と被差別部落

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --年--月--日 --:-- ] カテゴリ:スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

三國連太郎氏と被差別部落

昨日4月15日、三國連太郎氏の訃報が報じられた。


今日、東京新聞に三國連太郎氏についていくつか特集記事が掲載されていた。


私は、三國連太郎氏について、ファンでも何でもない、映画も演技も見たことがあるのかどうか、しかし名前だけは知っているというお方なので、お悔やみ申し上げるのもおかしなものである。


ここで取り上げるのは氏についてではなく、彼の養父が被差別部落出身だったことが強調されていることである。

東京新聞2013年4月16日付朝刊、28面「『差別』と闘った名優」で、

「親父の田舎は伊豆の松崎の奥にあり、(被差別部落の研究書によると)伊豆半島に十一か所を記載されている被差別地区の一つだとされているところなんですけど」

対談本「『芸能と差別』の深層」の中で桃山学院大名誉教授の沖浦和光さん(86)にこう語ったという。



だから、どうなのか。


最後まで出目にこだわっておられたのか。

それをどのように解決、克服されたのか。


私が思うに、幕末明治維新後、日本的考えが西洋的考えに急に方向転換された時から始まる。



事実、わが国においても古く氏姓制度時代から、明治四年(一八七一)八月のいわゆる「解放令」といわれる太政官布告第四百四十八号が公布されるまで、制度上にも賤民と呼ばれた一群の人びとが存在したことは、否み難い事実である。

これらの賤民は、時代によりその職種・名称に幾多の変遷はあったが、為政者および一般人からの差別は毫(すこし)も変わることがなかった。 特に江戸時代の賤民の代表ともいうべき穢多・非人のうけた差別・待遇は、はなはだしいものであった。

(『江戸時代 部落民の生活』(増補版)、高柳金芳著、雄山閣、昭和四九年、1頁)



たまたま、手元にあった本から引用したが、この昭和四九年当時の学者たちの考え方と私の現在の考え方はだいぶ違う。

しかし、このような考え方が一般に流布していたということで参考にあげておいた。

為政者とは誰か。
一般人とは誰か。
穢多・非人のうけた差別・待遇は、どのようなもので、本当に今定義されたような差別なのか?


そのために「被差別部落」というカテゴリーが人々の認識の中に定着した。

その目的は人びとの間に差別という溝をつくり、対立させるファシズム的な思想からであると思っている。


では、差別はなかったのかといえばそうではなく、虐殺がなかったというように、否定ができなくなる。

その心理を利用されるのである。

永らく差別に耐えてきた飛騨族を中心とする縄文日本の根幹だったエタ衆は、このとき「被差別部落」という大きなカテゴリーに取り込まれてしまった。


ここで、縄文日本人のマコトの痕跡が今にも闇に葬りこまれそうになっていたところ、山本健造氏による「暴かれた古代史」(山本貴美子著、福来出版、2010年)、「裏古事記」(山本健造著)、「明らかにされた神武以前」(山本健造著)等々の著作で、その全貌がはじめて明らかにされたのである。




「差別された」という心理は、奴隷根性で二次元の世界である。

この状況を脱出するには次元を高めた精神的鍛練のみ可能なことである。

現に日本の先祖たちは、現実の生活様式に取り入れ躾られ、サムライたちは古武術による行動則を修めた。


世の流れの中で、生き抜くために忍びのものたちが極めて行った精神の鍛錬がそうであったように、武士たちの精神鍛錬が江戸時代の世界にまれに見ない治安のよい都市国家を支えたのも、職人たちがそれぞれの持ち分で技を磨くのも日頃の精神鍛錬のみによって可能である。

奴隷根性を嫌う日本人は精神性を高めることで克服するのである。

精神性の向上は自然と調和して芸術的に現われる。

もちろん奴隷に甘んじるものも、悪魔になびくのも一緒に存在するのが現実である。




三國連太郎氏が父親の出目で「被差別」と断定する無常で非常な判定がまかり通るなら、私の祖父母の出目は埼玉の狭山事件のあった近くで被差別ナントカとかわらなくなり、私も「被差別部落民」で差別されたと公言しなければならないのだろうか?

あいにく、そんな風には育たなかった。

祖父母は寡黙であったが、そんな愚痴を聞いたことがない。

今調べると、古代埼玉は武蔵の国(現代の関東)の中心だったのだ。



「被差別、同和問題」を知ったのはだいぶ後で、私が個人的に友人を頼って農業研修していた時、その三重県で同和問題の映画に誘われたときだ。

その「同和問題映画」は、「エタ」より「在日」問題になっていた。



三國連太郎氏はどうしたかったのだろう。

関連記事
スポンサーサイト
[ 2013年04月16日 17:59 ] カテゴリ:部民(部落)/伴 | TB(0) | CM(0)
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
この記事のトラックバックURL

プロフィール

beetaro

Author:beetaro
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新トラックバック
検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。