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マイケル・ルパートの「ゴッドを議題にすること」から


マイケル・ルパートの「ゴッドを議題にすること」を改めて全文読んだ。

文がスムーズでないところは気付いたとき直してもらうことにして、

国際問題が即宗教問題となるため「さわらぬ神に祟りなし」とささやかれるご時世に、私が「宗教」を題材にしてはいけないと20年前に言われたことがある。

それを正面から立ち向かうことを試みられたルパート氏には敬意を払います。


私たち日本人はじめネイティブ・インディアンが自然の中に「神」的存在を感じそれを自然の法則と認めたのと、西洋で考えられた宗教は異なっていた。


だから同じ「神」という単語を使っても前提条件が全然違っているのである。



「テクノロジーが物理学、化学(特に熱力学/エネルギー)の法則を覆すことを人類は心底から期待(または要求)しています。 定義上、自然の法則を覆すことができるものは、ゴッド(神)です。 この構築された概念の下で、テクノロジーは、宗教以外なにものでもありません。」 (『ゴッドを議題にすること』、その1)


マイケル・ルパートがここで出した定義は、「自然の法則を覆すことができるものは、ゴッド(神)」とした。

ここで、すぐ「悪魔」といわないところがよかった。

「God(神)」も「悪魔」も不可視のものとされるから、思考が整理できなければパラドックスに陥ってしまうところである。


西洋人が、自然界の「神気/霊気」を、物理・科学/化学という宗教で測って出た結果のみを信じるようにお膳立てされたのである。

そのお膳立てをできる人たちが、「自然の法則を覆すことができる」とも捉えられる。




マイケル・ルパートは職務を全うする警察官のように、事件処理にも科学的に当たって対処する。

科学であっても、出た結果に忠実であれば自然の法則の範囲であるが、不正行為で手を加えられたものや意図的に改竄したものを信じさせられたら、それは宗教になる。

ということではないか。


そんな西洋人が地球の信条に基盤を置いた考え方をもつ人間/インディアンを通じて、物理・科学/化学のみで測れないその奥のハタラキを明確に知ってから、さらに変化が現われた。

そのような現代人をルパート氏は「新種」と言っている。





マイケル・ルパートも学んだというトム・ブラウン・ジュニアの著書、

『グランドファーザーが教えてくれたこと』の訳者あとがきに


トムはヒッピー文化の終わりごろに登場し、ニュー・エイジのカリスマ的存在として、若者から熱狂的な支持を集めてきました。 しかし、そんな彼も還暦を迎え、彼の名声はさまざまな分野の人々にも広まり、自然保護や環境問題の専門家、アウトドアの指導者、心理学者、医者、聖職者、教育者、そして司法関係者などからも多大な関心が寄せられています。

(『グランドファーザーが教えてくれたこと』、トム・ブラウン・ジュニア著、さいとうひろみ訳、ヒカルランド、2012年、407頁)




作られたヒッピー文化からはずれて登場したところが世の計らいの妙ではないか。

作られたニュー・エイジ運動のあとで、ニセモノでない何かを渇望した若者たちに受け入れられたのだろう。


もちろん、「ニュー・エイジ」と「新種」は違う。




人間は地球を基盤にした生き方が自然と共に生き残る唯一の道である。

規範はそれによって定められるものである。



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[ 2013年05月04日 22:34 ] カテゴリ:未分類 | TB(0) | CM(0)
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