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西尾幹二氏の日本国憲法前文私案と伊勢神宮

天皇と原爆
「天皇と原爆」
西尾幹二著、新潮社、2012年




この目次に、

第十七回 仏教と儒教にからめ取られる神道

というタイトルがある。


私が「新しい歴史教科書をつくる会」の会長をしておりました当時、会のことを大変に評価してくださった伊勢神宮側が、ある人の案内で私ひとりを本殿にあげてくださり、単純なお祓いだけではなく、さまざまな舞と祝詞をあげて厳かな儀式をして見せてくださるという、本当に例のない、ありがたい体験をさせていただいたことがありました。(同書、167頁)

西尾幹二氏が1996年「新しい歴史教科書をつくる会」を発足者の一人となり立ち上げ翌年会長に就任された。

2006年に、精神的な部分で理解できなくなり離脱された、とウキペディアにはある。


しかし、その時の活動が伊勢神宮側に評価されていた。


この回の前は、

第十六回 「日本国改正憲法」前文私案

である。

こう言っては語弊があるが、「日本国憲法」は、書くだけなら誰でも書けるもののようだ。

明治時代、江戸時代から新しく国際世界へ出ようとする移行期、国際ルールに習って憲法というものが必要となった。

そのときも、明治憲法発布以前に私案を出す知識人が多かったのに驚かされた。

参考:明治憲法発布以前
出典:福村出版「明治前期の憲法構想」家永三郎、松永昌三、江村栄一共著

http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/8091/meijikenpouhappuizen-ichiran.html


明治憲法が天皇絶対制になり華族制度が大幅拡大されたのは、伊藤博文がドイツに行ってビスマルクに知恵づけされたプロセイン憲法を入れたためである。

参考:大日本帝国憲法もGHQ憲法もユダヤ人がかかわっていた。
http://jjtaro.cocolog-nifty.com/nippon/2012/12/post-84ba.html

このとき盛んに活動していた、自由民権運動の村松愛蔵(1857~1939)が、明治14(1881)年9月29、30日に名古屋の「愛岐日報」紙上に発表した私案は、伊藤博文のそれより、むしろ現行憲法に近い「象徴天皇制」を唱えていた。(参考:『自由民権村松愛蔵とその予告』、柴田良保著、、白い家、1984年)






西尾幹二氏が日本国憲法の前文私案を書いたのは、『中央公論』が平成十四年に「夢の憲法をつくろう」という読者参加企画として一般の応募が百二十六作集まったというのをうけて、雑誌社に頼まれたからだそうだ。


現在でもこれだけ憲法を書く、それこそ一般人がいることに驚いたが、考えてみれば国家の成立、運営の中核をなすものとして当然のことである。

国家でなくとも、会社の定款も憲法みたいだし、家や自分の存在理由について自立した根本となる見方というものは必要である。




ところが、雑誌社が依頼した50人の有識者のうち主旨に応じて前文を書いて出されたのはわずか三人だった。

その三人とは以下の通り。

西尾幹二氏
宗教学者の山折哲雄氏
民主党代議士の某氏


『中央公論』のライターを何かと演じている政治家、学者、評論家、作家などはみんな逃げた。

と、著書「天皇と原爆」の157頁に書いてある。




西尾幹二氏への日本国憲法前文私案の依頼は平成14(2002)年で、この本に掲載されているその内容は、筋が通っていて違和感ない。

そのような、根本となる基盤があったので「新しい歴史教科書をつくる会」の会長(1997~2001年)を務められ、2006年に離脱するまで関わられていた。

この伊勢神宮参拝がいつの時期だか詳しく書いていないが、それが、伊勢神宮側に認められたというのは、もっともなことだったのであろう。


祝詞をあげていただいて、その内容を一緒に活動する仲間にも報告したいと思ったのも西尾氏の普通の感覚であろう。

以下引用。


何しろ伊勢神宮の祝詞ですから自慢できる話ではあるし、会のために役立つ、勇気づけられる出来事でもあります。

そこで儀式が終わりましてから社務所に行って、「先ほどの祝詞の書き記されたものか、そのコピーでもけっこうなんで頂戴できませんか」と申しあげたら、駄目だというんですよ。

一切の言葉はそのまま消えてしまう、文字を残さない、瞬時にして消えるものを頼りにしない、そういう思想なんです。

これは私にとって一つの文化的なショックでしたが、なるほど、そうかとも合点がいきました。

わが国の文化が文字のないところからスタートしたことと深く関係があるのかなと思ったりもしました。

(中略)

文字を使わないことについて、さらに一つ聞かされたのは、宮司たちが舞う舞の所作とか礼儀作法とかの順序、形式、注意事項などが当然あるのに、一切文字になってないんだそうです。

つまり文章には頼らずに、すべてを体で伝授していくというので、これまた私はびっくりしました。

(『天皇と原爆』、西尾幹二著、新潮社、2012、167~168頁)



ネイティブ・インディアンが文字に頼らない生活を今でもしている。

マイケル・ルパートが「ゴットを議題にすること その3」で言っていることと相違ないだろう。

「地球に拠点を置いたネイティブ(先住民)の信条は、私の知る限り、法典として編まれた印刷物に頼るものでは決してありませんでした。 書物は、最終的な権威であるはずがありません。」 


縄文日本人もまたそのような生活をしていた。

伊勢神宮は、その名残をのこしながら、初期の形態を今も儀式として守り続けているのだろう。


それをコトタマ、と世間では言われるのだろうが文章化したものを読んだだけで伝わるものではないといっている。

それを自分と一体になるまでくり返し体現していってこそ伝承してゆくもののようだ。

西尾幹二氏のような知識人であっても、伊勢神宮のしきたりについて知らなかったし、そのことを隠しもせず正直に書かれた。

伊勢神宮の宮司さんは、そうだとしても、お互いの琴線に触れたので祝詞をあげられたのであろう。


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[ 2013年05月05日 18:22 ] カテゴリ:未分類 | TB(0) | CM(0)
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