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内臓が弱かった三島由紀夫


蓑内宗一の書き方が面白いので、他の本はないかと調べても入手するのは困難そうである。

国会図書館へ行けば、何冊か保管はされているが、複写禁止であったりする。

以下の本もそうだったので、急いで写してきた。

ので間違って写してしまってるかもしれないと、最初に断っておく。


「東洋医学の健康法」
蓑内宗一著


から引用する。


内臓が弱かった三島由紀夫


作家三島由紀夫の検死報告の一節に、

「顕著だったのは、その隆々たる筋肉と、弱い内臓とのアンバランスである」という指摘が読まれます。

検死官は現代医学の徒らしく、隆々たる筋肉があたかも“力”の根源らしく想定? 弱い内臓とのアンバランスに驚いた気配がうかがえるようです。


しかし、東洋医学では、筋肉と内臓と比べてさほどバランスを注目しない点です。

基本である内臓が正常の場合、骨格筋が働かなかったとしたら、むしろアンバランスでしょう。


私に疑問がわいたことは、彼の文章に見られる、今日ほとんど死語に近くなっている雅語を、なかばつかうほど、日本語の伝統に頑固だった彼が、体育の面では日本のよき伝統―内勁(ないけい)を主とし、外勁を従とする―がぷっつり切れていることの驚きです。

もちろん彼は居合、剣道から空手まで習っています。

にもかかわらず、惜しいことに体は逆方向に鍛えられています。

私はただ、中国の哲学者、孟子のことばを噛みしめて銘記するだけです。

「我はじめに千人然りといえども、始めに違えば、終わりにすなわち、妙理を知ることなし」と。

(『東洋医学の健康法』、蓑内宗一著、アロー出版社、昭和51年、17~18頁)



三島由紀夫の項目が目についた。

たまたま、先日、三島由紀夫の「豊饒の海」を紹介してくれた女性がおられたので記憶に新しかったからかもしれない。

三島文学なるものを読んだことがない私は、ざっと、あらすじを調べて感想を書いた。

参考:ウルフ爺さん(2013-03-09 投稿)のコメント欄
http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-11486610725.html


もちろん、文学についての感想ではなく三島氏が題材にした「生まれ変わり」に対する私見である。


蓑内宗一氏の目のつけどころも彼ならではで、人間観察からその行動を見抜いている。




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[ 2013年05月08日 22:21 ] カテゴリ:蓑内宗一 | TB(0) | CM(0)
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