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武士同士の対決は実と実との対決であるが、忍びが戦うときは常に自分は実であり敵は虚である。「正忍記」その5
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「知恵の喪失」/ 倫理的な意志


バリー・シュワルツ「知恵の喪失」のトークには、いろいろテーマが隠されている。

それを、わかりやすく話題に取り上げ、たぶん自分の身の回りに存在するであろう問題に何気なく目をむかせて気づかせるようにしているようだ。


私もいろいろ気がついた。


バリー・シュワルツ「知恵の喪失」
TEDを日本語で読む:TED人気スピーチ日本語訳 -
には、翻訳したものも並置してあるので、あとで内容が確認できる。



バリー・シュワルツ氏は、病院の清掃員にインタビューした心理学者の例をあげる。

職務明細書にはない人間的な行為が病院の評判なり運営の向上させている、という評価である。

清掃員自身が「人と触れ合いながら優しく気遣い思いやることが仕事において必要不可欠な部分だと考えているのです」、と意識しているという。


「にもかかわらず職務明細書には他者を示唆する言葉は1つとして出てこない。この清掃員たちは他者に対して正しい行いをするという倫理的な意志を持っている。 それ以上に、彼らは正しい行いとは何かを判断するための倫理的技術を持っている。 アリストテレスは「実践知とは」「倫理的な意志と技術の組み合わせである」と説いています。」(バリー・シュワルツ談)


倫理的な意志
倫理的技術

これらを合わせたものをアリストテレスは「実践知」といった。



私からこのような言葉は出て来ない。
こんなふうにも考えたことがなかった。




私が見たところ日本社会では、ごく自然とこのような行為があたりまえのようになされる。

行為する者も、行為を受ける方も黙っていたとしても心でやりすごし、別の機会に別の形でお返しするか、二度と合うことがなければ他者にお返しをする。

そうやってぐるぐる回っている。


今「倫理的な意志」が働いている、などと考えながらやっているわけではない。

思いが即行動へとつながって、流れるように物事が進んでいく。


えっ、自分が知ってる日本人はそうじゃないって……細かい例外はこの際抜きでいこう。



そこで、前回では「知恵」と「知識」の違いの例を蓑内宗一著『ツボと日本人』から引用した。

日本人が知らないのではなく西洋人の方が論理的に説明していて解かりやすい。

ジャック・ハルペンというドイツ系ユダヤ人は1946年の第二次世界大戦のあとに生まれている。

ドイツで生まれたからドイツ系なのだろう。

ハルペン氏の家族は、戦後、ドイツにいたことになる。

…と脇道にそれている場合ではない。

ハルペン氏の解釈は、伝統的ユダヤの教義に基づくなら、ネイティブな人間にも通じる知恵があるのだろう。




日本では、アリストテレスのように気難しく理論づけしなくとも「倫理的な意志」は全体をうまく回す潤滑油のようにとらえられる。

そのような意志を育てる社会の仕組みや人々の情緒の中にあればこそ、規則がなくても秩序だった営みが形成される。



病院の清掃員は、どういう人か想像するに、ブルーカラーで低所得者で家族を養うために移住したかもしれないが、そのような人たちは、自分の生まれ育った民族や地域で他者を思いやる感情が育まれたことだろう。

このようなことは勉強しても見に付くものではない。


ところがどっこい。

白人は次に「倫理的な意志」に対する報酬を考えてしまうのである。


次回につづく

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[ 2013年05月16日 20:50 ] カテゴリ:未分類 | TB(0) | CM(0)
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