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武士同士の対決は実と実との対決であるが、忍びが戦うときは常に自分は実であり敵は虚である。「正忍記」その5
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カリブの海賊[ヘブライ人]

ヘンリー・メイコウのニューズレターから
http://www.henrymakow.com/hebrews-of-the-caribbean.html

Hebrews Of the Caribbean
カリブ海のヘブライ人

2013
年1月17日


Jean Lafitte 
(1780−1826)

フランスのユダヤ人の海賊ジャン・ラフィット(Jean Lafitte)は、アンドリュー・ジャクソン(Andrew Jackson:第7代アメリカ大統領)のニューオリンズの戦い(1815年1月8日)を勝利へ導いた。


ウォール街ができるずっと前に、ユダヤ人は海賊行為の蛮行で際立っていた。  筆者リチャード・シナイ(Richard Sinai)は、彼の生地ニューオリンズが「反ユダヤ主義(anti-Semitism)」なのはユダヤ人の海賊行為とのつながりからとしてその記憶をたどった。

by R. Sinai
(henrymakow.com)


ニューオリンズで成長していた子供の時、常々、この都市は独特で、多彩で、ひどい過去があることを把握していました。 ニューオリンズがアメリカの都市に併合する以前、1802年にアメリカがフランスからルイジアナ買収(Louisiana Purchase)で買い取るまで、それはフランス、スペインの植民地として統治されていました。  私はテレビ、ラジオ、インターネットが出回る前の生活の物語を聞くのを好みました。 両親は、第一世代のロシア系ユダヤ人の移民の子供たちでした。

私のおばあさんは、虐殺が起きたため、家族がアメリカに移民したと言いました。 私は、ユダヤ人が常になぜ不安がっているのか、まだ理解していませんでした。 小学生にあがってから「ユダヤ人(Jew)」という語が動詞として使われるのを聞いたのが最初で、それは「キリスト殺し(Christ-killer)」の破壊者としてでした。

私は、さっぱりわからなかったのです。 他の子供と異なるということを知っていたのは、私が「(蔑称)ユダヤ人(kike)」だからです。  他のユダヤ人と話しをすれば、ユダヤ人が他の民族より頭が良かったので嫉妬されたとか、神に選ばれし人々(Chosen People)として知られていたから「ユダヤ人」が嫌われたと、説明されましたが、それを信じませんでした。 結局、他のあらゆる宗教やカルトは、神に愛されていると主張します。  私は多くのユダヤ人たちを知っていましたが、彼らの一部は『知的(intelligent)』のように見えませんでした。  これらの言い訳が不可解だったので、私は真実を求め始めました。



JEWS PURGED FROM SPAIN:スペインから一掃されるユダヤ人

1492年に、ユダヤ人がスペインから追放されたとき、多くの人々は国境を越えてポルトガルに入ることを決めました。  5年後に、ポルトガルもユダヤ人を追い出すことを決定しました。

カリブ海での通商ルートが栄え始めたのは、ヨーロッパに残ってオランダに移住することを選んだ大勢のユダヤ人がカリブ海貿易を繁栄させるのに関係したからです。

クリストファー・コロンブスが新世界へ最初の航海をしたとき、積み荷目録に5人のユダヤ人を計上したのは意味がありました:

・ マルコ外科医(Marco surgeon)
・ ベルナール、医者(Bernal, physician)
・ アロンゾ・デ・ラ・カジェ、会計係(Alonzo de la Calle, bursar)
・ ガブリエル・サンチェス、アラゴン州の通訳(Gabriel Sanchez the Treasurer of Aragon)
・ ルイス・ド・トーレス、船通(Luis de Torres, the ship interpreter)

上陸した最初の男トレス(Torres)は、タバコをはじめて発見しました。  結局、彼はキューバへ引っ越して、ユダヤ人企業家のタバコ・ビジネスの父として、今日に至ります。



THE TRIANGULAR TRADE:三角貿易

アーロン・ロペス(Aaron Lopez:ユダヤ人の商人であり船主)は、アメリカという新国家で最も裕福な1人でした。

TRIANGULAR TRADE 
ラム酒はアフリカに
奴隷はアメリカに、
砂糖はニューイングランドに



彼の船は、カリブ海にあるロードアイランド州(Rhode Island)からキュラソー島(Curacao)、バルバドス島(Barbados)、スリナム(Surinam)へ向けて出航しました。  これらのユダヤ商人は、『三角貿易(triangular trade)』を営みました。


奴隷はアフリカから連れて来られて、西インド諸島で、糖蜜と交換されました。  糖蜜は植民地(Colonies:ニューポート、チャールストン、サバンナ)に送られて、ラム酒に変わりました。 ラム酒として製造された商品は、アフリカへ逆輸出されました。

南アメリカ北東部スリナムだけで、1700人におよぶユダヤ人100家族が住んでいました。 40以上の地所に9,000人の奴隷のオーナーでした。 1730年までに、ユダヤ人は115のプランテーションを所有して、毎年、ヨーロッパと新世界の市場に21,680,000ポンド(約9834トン)の砂糖を送る、砂糖輸出事業を独占支配しました。



OY VAY! PIRATES: なにっ! パイレーツだって

最も悪名高く恐れられたユダヤ人の海賊は、カリブ海に潜伏して、北アフリカのバーバリーコースト(BarbaryCoast)を荒らしていました。 彼は、シナン(Sinan Reis:1546年没)、あだ名は「the Great Jew(偉大なユダヤ人)」、赤ひげ船(Redbeard)の副司令官でした。 シナンは、魔術使い(Black Arts)の開業医であると信じられていた、熟練した航海士でした。  スペインの要塞都市、リビアのトリポリ(Tripoli)に反抗する6,000人規模の軍隊をうまく誘導しました。  彼は「奴隷の軍隊(2、3を除いたすべて)を駐屯させ、優美な彼の凱旋のために討ち滅ぼさせた」。


Jewish Pirates 

"Jewish Pirates of the Caribbean: How a generation of swashbuckling Jews carved out an Empire in the New World in their quest for treasure, religious freedom, and Revenge."
by Edward Kritzler(November 3, 2009)
「カリブ海のユダヤ人の海賊: 向こう見ずのユダヤ人世代は、復讐、信教の自由、財宝の探求に、新世界帝国をいかに作り出したのか。」




もう一人、名はあまり知られていないが、それにもまして大胆な海賊は、モーゼス・コーエン・ヘンリーケス(Moses Cohen Henriques)でした。  1628年に、オランダ西インド会社(Dutch West Indies Co.)のピート・ヘイン(Piet Hein)提督に、ヘンリーケスは協力しました。 この2人組はスペイン海軍から金銀の強盗を首尾よくやり遂げ、さらに大胆になり、ヘンリーケスとヘイン提督は、キューバ海岸沖でスペイン船を襲撃し続けました。 彼らは、新世界へ行くはずだったスペインの金銀を成功裏に略奪しました。

しばらくして、ヘンリーケスはユダヤ人派遣団を彼所有の海賊島のあるブラジルに案内しました。 モーゼスも、ヘンリー・モーガン(Henry Morgan:おそらく空前絶後の最も有名な海賊の1人)の顧問になりました。 モーゼス・ヘンリーケスは彼の機転で逮捕をうまく切り抜け、犯罪の責を負わされずに済みました。




JEAN LAFITTE:ジャン・ラフィット

ジャン・ラフィットのファミリーネームは、Lefittoでした。 Lefitto家は、数世代にわたりイベリア半島に住んでいました。  ジャンと兄のピエールは、サン=ドマング(Saint Domingue)のポルトープランス(Port-Au-Prince)で生まれ、彼らのセファルディム・ユダヤ人の祖母によって養育されました。


ナポレオン時代のある時期に、奴隷反乱(slave rebellion)が勃発しニューオリンズへの逃避を強制されるまで、ラフィットはフランス領サントドミンゴに定住していました。

ジャンとピエールは、メキシコ湾を航海して、ニューオリンズ市近海の入り組んだ水路の航行の仕方を学びました。  結局、彼らは海賊になりましたが、法律的組織として保障された私略船《privateer:戦時に敵船捕獲の免許を得た民有武装船》.と通常名乗りました。

彼はカルタヘナ(Cartagena:現在のコロンビア北西部)からラフィットとその海賊ども(出没するどこでも、野蛮人〈Baratarians〉として認知された)にスペインの船を拿捕し、船上の商品と奴隷を略奪する許可を与えた書簡を得ました。 しかし、「カルタヘナ文書(Cartagena Letter)」はアメリカ合衆国に認められなかったのは、ラフィットと彼の1,000人の支援者がアメリカ合衆国で歓迎されなかったからです。

1815年(米英戦争)、英国がメキシコ湾から攻撃することを、ラフィットはアメリカ軍に警告しました。  英国軍が接近したことで、アンドリュー・ジャクソンがラフィットの援助を容認したことをわかっていたからです。

英国側の圧倒的人海戦術にもかかわらず、ジャクソン将軍率いる烏合の衆の不正規軍は勝利を得ました。 ジャクソン将軍は、ラフィットが海賊行為を処罰する法律で特赦されるのを知っており、彼の家族に米国の市民権(Citizens)を作成しました。  彼の英雄的な行動もしくは極悪非道ゆえに、今日においてアメリカの英雄として尊敬されています。


【翻訳:タドン】



参考:(海賊物語)ジャン・ラフィット
http://taleofpirates.info/file/caribbean/529/



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[ 2013年01月23日 12:00 ] カテゴリ:ヘンリー・メイコウ | TB(0) | CM(1)
とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!
[ 2013/07/04 21:19 ] [ 編集 ]
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