ビー太郎サバイバル日記

武士同士の対決は実と実との対決であるが、忍びが戦うときは常に自分は実であり敵は虚である。「正忍記」その5
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自分が主体なのか、他人が主体なのか


6月6日、今日は母の命日なので親戚が集ってにぎにぎしかった。


つい先日、私の農業の先生…といっても農業学校の教師をしていたので直接教わったわけではない…の家に遊びに行った。

田植えの約束をしていたのに時間が合わなくて手伝えなかったことの詫びも含めて雑談するためだ。


学校を退職されたあと、世話になった恩師の面倒を夫婦で見ておられる。

恩師には子供はいないのでその人がそのかわりになっている。

その先生のご夫妻にも子供はいない。

血のつがなりがない者同士が寄り添っている。



その先生は理想郷を夢見ているので、現実に根ざす私とはよく衝突する。

それなら行かなきゃいいのだが、上記の理由があるので時々様子を見に行く習慣が続いている。

今回、先生は昔「生長の家」という組織に入っていたことを言った。

そして、私が霊的なことを口にするから、「霊的体験があるのか?」と聞かれた。

私は、「ないが、憑依された人は見てきた」というと、「霊的体験がないとだめだ」という。

そこで、先生が話されたのは、

自分の尊敬していた霊能者の話しであった。

先生が霊的体験をしたのではなかった。

「その霊能者は観音様の言葉が聞こえる人で…」

といいだしたので、内心「勘弁してくれ」と思った。

「ある日、龍神が見えるという人が訪ねてきた」

「!!」

「その訪問者が帰ったあとから、霊能者には観音様が現われなくなり、代わりに龍神が現われるようになった」

と言って、先生は黙った。


私はその続きはどうなったのか知りたかった。

先生は、龍神が現われてから意見が合わないと思われ、その霊能者のもとを去った。


自分で語った矛盾に気がつかれたかどうか知らないが、先生は黙りこくった。

私にすれば観音様も龍神も同次元の存在にみえる。

でなかったら、簡単に取り替わってしまうことはないだろう。


追い打ちをかけると失礼になるので私も黙ったままだった。



私が基本に思っていることは、自分が主体なのか、他人が主体なのかということである。

霊能者が何か別の存在を介して託ける場合、たいてい憑りつかれて操られてしまっている。

幻覚が見える状態の脳を生まれつき持った霊感体質の人もいるくらいだ。



先生は話題を変えて、自分の理想とする縄文の生活の仕方を説明をしてから、「夢はなんですか? 幸せはなんですか?」と私に振った。


私はこのようなわけのわからない質問をされると虫ずが走ってくる。

世間では普通に喜んで会話に花を咲かせていることではあるが、

私は自分と何の脈略もない得体のしれないものに取り囲まれた感触になる。

もしかしたら、先生は無邪気なのかもしれない。



「生きる」ことを感じた瞬間、そのこと自体が幸せと感じ、夢の実現に向けて踏み出しているのである。

この夢というのは自分の意欲から生まれてくる。

別のところにあるものでも、遠くにあるものでもない。

誰かが授けてくれるものでもない。

すべてが一体となって動き出している。

同じ目標を持つ者同士が集まればそれだけ強くなるし、事を成せるものだと思う。



先生はもっと抽象的なありふれた答えを期待しているのだろう。

どのように説明すればわかってもらえるのか、わからなかったので黙っていた。

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[ 2013年06月06日 21:45 ] カテゴリ:未分類 | TB(0) | CM(0)
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